幸せは、きっといつでも手元にある。 大抵、そのときには気付かないで、素通りしてしまうけど。 だからこそ、幸せに気付くことができたのなら それは紛れもなく最高なことなのだと思う。 私は今までどれだけの幸せを拾い上げて、 どれだけの幸せを犠牲にしたのだろう。 何も意識していなくても、 いつの間にか幸せのハードルを上げて、 些細な喜びを幸せと感じなくなってしまっているのだろう。 「生」は幸せですか? 今、どんなに辛い場所にいても 未来への希望を持てているのなら、きっとそう
いつか消えてなくなるもの。 ほとんどが「それ」だ。 築いた関係も、友情も、 芽生え、育んだ気持ちも。 目に見えるものなんかは、特にすぐ壊れてしまう。 壊れなくても、風化していく。 破壊されていく。 生まれたものは。消える運命だから。 どれだけ愛しても、変わることのない。 私の年では、得て失うものが感じ取れすぎてしまう。 勉強か絆かを選んで、どちらかは諦める。 何を選んだって、後悔することは見えていながら。 私は、どうしても絆を求めてしまう。 きっと、涙を流す日が
いい大学に行きたいわけじゃないの。 大学で楽したいわけじゃないの。 仕事に就きたいわけじゃないの。 ただ、その学問を学びたいだけで、 あの頃の「私」の存在意義を作りたいの。 生きてた意味を、 あのときにやめられなかった人生を物語にして、 綺麗な終わりを描きたいの。 仕事は、自分の夢を叶えられなくても、 少しでも目標に近づきたい。 そのための道を閉ざしたくない。 だけど、その理由を家族に話したくないって そんなのがただの我儘だとは分かってるけど、 「私
お久しぶりです。未です。 色々と忙しかったり、疲れだったり、様々なことから 最近、というか1か月半の間投稿ができていませんでした。 今回は、ただ少しだけでもお話ししたいと思っています。 何も決めていないし、考えてもいないので、どんなふうになるか 全く分かりません(笑)。 今、私は高校3年生で、そうするとやっぱり勉強面での忙しさが とても多いのはもちろんのこと、 私の学校は、学年が上がれば上がるほど行事に力を入れるため、 今までで一番忙しい6月を過ごしています。 実際、5
私は愛ゆえに傷つき、そして愛ゆえに人を傷つけた。 生まれてから、今まで。ずっと、何年もの間。 ”大切な人に頼る”という、 私なりの下手な愛情表現をしてきたけれど、 それは、その人を苦しめ、負担をかける行為だったのだ。 もう、今更気付いたって遅い。 未来が過去になるのはいとも簡単だというのに、 過去を未来にすること、 そして過去を過去にすることは、こんなにも難しい。 私たちの仲を、何もなかったかのように元に戻すことは、 中々に苦いことなのだと、そう感じる。 こん
きっとさ、物って貰いすぎちゃうと、その後から満足できなくなるじゃん? 何にも限らないけど、特に「愛」なんかは一番そういうものだと思う。 「愛」ってなんだって そう聞かれたらなんて答えるだろう。 人を大切に思う気持ち? 誰もが抱き、受け取るもの? ただひたすらに注ぐもの? そうだったら良かったのに。 キラキラとしていて、穢れなんて一切なくて。 でもきっと、そんなのは「まやかし」だ。 どうせ、愛なんて、 ただのエゴの押し付けだとか 欲望のかたまりだとか そういう、汚
目は口ほどに物を言う そんな慣用句のように、目は私たちにとって大事な情報を映している。 私が、人の好き嫌いで挙げる理由の一つには、 必ずと言ってもいいくらい、 「その人の目が~だから」ということが入る。 恋する人の、 真っすぐで曇りのない目が好きだ。 友人たちの、 優しくて暖かい目が好きだ。 特に、微笑んでいたり笑っていたりするときの表情は最高だと思う。 苦手だと感じてしまう人の目には、 戸惑いなどといった、揺らいでいるようなものが映る。 私は、それがどうしても好き
音楽。 私の中で、誰よりも、そして何よりも大きい存在は、きっとそれだと思う。 好きなものというよりは、好きな音楽とかアーティストだし、暇さえあれば音楽を聴くし、歌うし。 たとえ、暗闇の中でも、自分の好きな音楽さえあれば、時間とか別のことなんて気にしないで生きていけるほどの自信がある。 どうして、そこまで拘るのか。 きっと、そう思う人もいると思う。 私の身近な、家族とかもきっとそう思っている。 理由は、「音楽に人生を救われたから」だ。 たった、それだけ。 私は、辛
もう春だね。 貴方と出逢って、5年になるんだって。 5年前の春の日。出逢いの季節。 無気力で、怖いもの知らずで、大した夢も希望も持っていなかった私が、いつだってしっかりとしていて、輝きを持った貴方と仲良くなったりだとか、貴方に恋したりするだなんて、 あの頃は思ってもみなかったの。 私とは違って、輪の中心にいる貴方は、とても遠くて届くことのない存在だったのに、小さなきっかけで変わるものだよね。 ある夏の日。 人の少ない教室で、一人ぼっちの昼休み。同じ班だった女の子からのと
こんばんは。未です。 今回は日記スタイルで書いていきます。 「Good Bye」でも書いたのですが、 やっぱり、この時季はあんまし得意ではないです。 毎年、卒業していく先輩とか離任していく先生がいたり、 何なら自分が卒業したり、必ず小さなお別れがあるし、 祖父母が亡くなったのも4月の初めだったから、 必ずその時の感情が蘇ってしまって 明るい気分ではいられないので。 私は、環境の変化がすごく苦手です。 大好きな人とは永遠に一緒にいたいって思っちゃうタイプ。 「永遠」が
この時期は、いわゆる「出会いと別れの季節」ってやつだろう。 学校でも、去っていく人もやってくる人もいて、激しい入れ替わりが起きている。 道端に咲く小さな花も、咲き誇る桜も。 私を包み込む暖かな風や陽だまりだって大好きだけれど。 私は、「春」が嫌いだ。 厳密にいえば、「別れ」が嫌いなのだけれども、それに合わせてこの時期が嫌いになってしまったみたいなの。 必然かな。 「別れ」の代わりに「出会い」があるのだとしたら、私は「出会い」なんて欲しくはないの。 物事が不変の存在
大好きで、熱中していたものがあって、まあただの部活なんだけど。 最後の発表会というか、今までの積み重ねの全てを発揮する場所がこの前あって、 それが終わって、そのまま、 燃え尽きちゃったの。 やっぱり終わりは呆気ないものなんだって。 おじいちゃんとかおばあちゃんが天国へ旅立ったときにも思ったけれど、 どんなに長くて重たいことでも、終わるときは一瞬なんだって。 分かってはいたけど、自分の青春が消え去ったような気がして、もう何もやる気が出なくなってしまっている、そんな状態
2024年3月12日の話。 朝、起きてみると雨が降っていた。 雨はまだまだ弱くて、別にいつも通り、自転車で登校することもできたけれど、夜には嵐が来るようで、学校に間に合うギリギリの時間のバスに飛び乗った。 バス停から、一人で学校まで歩く。 好きなバンドのライブの音源を聴きながら、変わり続ける曲のテンポに合わせて、ゆっくり歩いたり、跳ねるように歩いたり。 そのまま、学校について、授業を受けて、部活に行って。 ずっと屋内にいたから、いつ雨が強くなったのかは気づかなかった
今日、突然思い浮かんだハンドルネームで、突然SNSを始めてみた。 「未」。 私の新しい名前で、私が私になりきれてないことを象徴する字。 まだまだ私は、未完成で、だけど、その中での葛藤もあって、そんなことを書き連ねる場所と選んだのが、この【note】。 実は、私は別にnoteのアカウントを持ってるんだけど、そこは気取りすぎて居心地悪くなってきたから、ここでは気取らず無理せず、書けたらな、と。 《Profile》 ・未(ひつじ) →高校生。 →12月14日生まれ。 →