アフガン分断と孤立から人を救う道は⁉️
🔸🔶ピンチはチャンス1🔶🔸
米軍がアフガンから撤退、タリバンが首都を制圧。最も敏感に感じたのはカンボジアであろう。ポルポト政権成立後共産主義のもとでの民衆大虐殺を思い出す。イスラム原理主義者も妥協はない。分断を統一できるのは人間力であって欲しい。しかし、仏陀、孔子、イエス、マホメット級の真の愛のみだ。魂が永遠なら再臨を願ってやまない。
🔸🔶ピンチはチャンス2🔶🔸
イエスは神の子‼︎何故十字架にかかるのか?それが神の愛とするなら、神の子を犠牲にして人類を生かした。ということであろう。
死後復活して逃げた弟子たちを訪ね、キリスト教が世界に広まった。
裏切った者を赦して愛する。
神の言葉は与えたがパンを与える力が弱かったキリスト教会。
ペストに負け、神の国を免罪符で冒涜した。
教会に神の愛がなくとも聖書にはあると説いたルター。
そして新天地アメリカに渡った新教徒たち。
自分の家よりも聖書と教会を愛し、食前に祈り日曜日には家族で教会に通う。
この神の愛が失われると共に起こった「理由なき反抗」。
若者は、良心の渇きを埋めようと、キリスト教以外に求めたのだ。
そこに忍び寄ったのが共産主義である。
かつてマルクスの家庭でも起きた。
引っ越し先がキリスト教徒の街だったため、便宜上、ユダヤ教からキリスト教に改宗しようとする父親と頑なに反対する母親。
宗教で説く、自己犠牲の愛ではなく、自己主張と対立。それに嫌気をさし、神抜きの統一思想を考え、生まれたのがマルクス主義である。
アメリカの反抗期、まさにキリスト教の限界、豊かになったアメリカの元で、神と我、個性の解放を求めてヒッピーの文化、この時東洋の宗教を求め覚醒したものたちの一人がスティーブ・ジョブズである。
彼は、日本の禅に感銘を受け、師匠に弟子入りをしようとした。この時、会社経営も魂の修行も同じだと説かれ、アップルを立ち上げたという。
だが、仏教は悟りは説いても神の愛は説いていない。天上天下唯我独尊は、全ての執着から解き放つ良心解放の道、良心につながる宇宙との繋がりを説く。
そこで満足した仏陀は、その宇宙力が親なる神の愛と悟ることはできなかった。
この地上で、豊かになって何をするのか?
どんなに成功して地位や名誉や権力も永遠に地上で行使することはできない。
万民に約束されているのは、肉体の死であり、その後どうなるのか?は誰も説いていないのだ。
死んだらどうなるか、死んだのちも地上に蘇った話を今日まで伝え、今なお語り継がれる代表がイエスであろう。
他宗教の教祖で、復活して弟子に現れた話は(私の知る範囲では)聞かない。
しかし、イエスの死後復活は残されている。それが新約聖書である。
何故か?復活がなければ、今のキリスト教は語れないからだ。
ユダヤ人社会に生まれて、ユダヤ教徒の救いとして王の王とした誕生したイエス。
イエスが誕生するまでに天使がマリアやヨセフに現れて生きた神のわざを示し、神の懐にイエスを通して生かして抱きしめ、神の国をつくろうとしたのに人間たちは神の真意が分からず、神の子を十字架につけてしまう暴挙に出てしまう。
聖書にあるのは、人間というものがいかに愚かな存在なのか。でも、神はなお赦し愛そうとされるのだ。
その象徴こそイエスなのかもと思うようになり、私は母の創価学会、父の神道から離れキリスト教とイエスの存在を受け入れるようになった。
でも、なんでいつも人間は失敗してしまうのか。
次は、この疑問について所感を述べたいと思う。