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小説「ある定年」⑰
第17話、
壮観というしかない。
北斎の描いた行道山の姿が、精緻な組子細工で畳3畳分もの屏風に生まれ変わっている。コマと呼ぶ2、3㌢の木片を組み合わせた部材は約6万個にも上り、2年の年月をかけ、コツコツと仕上げた。
「ついに完成に漕ぎつけましたね。大変な作品で。驚きました」
「そうかい、でも、まだ完璧じゃねえなあ」
「何か、気に入らないところでもあるんですか」
「いまちっと、北斎の原作に似せられねえかと思ってさ」
建具職人の田辺は腕組みをし、点検するように作品を見回した。
今年83歳。足利市内の中学を卒業後、都内の建具店に丁稚奉公し、家業を受け継いだ。この道一筋65年以上、筋金入りの職人で妥協を許さない。
組子技術は約20年前、鹿沼組子の名人宅に2年間、通い詰めた。還暦後でも学び挑戦する姿勢は見習わなくてはならない。
「行ったって教えちゃくれねえさ」
「それじゃ、どうやって覚えたんですか」
「見て覚えるんさ。職人ってのはそういうもんだ」
丁稚奉公していた頃、親方の仕事を盗み見しては頭に叩き込み、仕事の合間を見てノートに書き留めたという。学び方、教え方は時代とともに変遷しても、自学自習する前向きな姿勢が必要だ。老職人の言葉に、江上は目から鱗が落ちる思いだった。人を取材し、その人の生き様を知る。記者の醍醐味でもあり、役得でもある。
組子作品の件は4か月前、市議の財部から情報を得た。即座に取材のための電話連絡を入れたが、
「まだ出来ちゃいねえ」
と、けんもほろろに取材を断られた。
ーー出来たら拝ませてやるから、それまでじっと待ってろ
口にこそ出さなかったが、内心そう思っていたのだろう。職人特有の頑固さ、技に裏打ちされた自信が感じられた。
その後、2度、ご機嫌伺いに顔を見せて、どうにか仕事場に潜り込めるようになった。
「それで、どうして北斎の作品を組子に」
「もともと、北斎が好きだからな。いいじゃねえか、神奈川沖浪裏なんか。豪快で、それでいて、波の一つ一つ緻密に描いてあって」
田辺は既に、錦絵の揃い物・富嶽三十六景の中の1枚、神奈川沖浪裏を畳6畳分の組子屏風に仕上げている。
「なんで今回、行道山の錦絵を作ることに」
「北斎が足利を描いてるって聞いてな、どうせ作るなら、地元の作品じゃねえか」
「それにしても大変な労作ですね。大変だったでしょう」
「大変?俺にはこれしかねえ。好きでやってるだけだ」
田辺はぶっきらぼうに返答した。
猪口から情報を得た後、江上が調べると、葛飾北斎は足利市の行道山浄因寺を題材にこの錦絵・足利行道山雲のかけはし、のほか、北斎スケッチとして世界的に有名な北斎漫画にも詳細な写生図を残していることが分かった。また滝沢馬琴の読本・椿説弓張月の挿絵の1枚に行道山に隣接する大岩山を描いていた。
「へえ、そうかい。あんた詳しいな。今度、その絵を持ってきてくれ」
老いてますます盛んな姿勢に、江上は感心した。65歳定年で老け込むことはない。老職人に背中を押された気がした。
自宅に戻り、北斎関係の資料を見直した。北斎研究の基礎文献・葛飾北斎伝に足利来訪の記述はなく、研究者らの論文にも足利の記述はない。ただ、浄因寺の檀家に残る古写真を見ると、明治期に全焼する前の往時の姿と北斎の残した作品が酷似している。手間を惜しまず調査すれば旧家の襖の下張りに手紙が紛れ込んだり、蔵の片隅に桐箱に収められた秘蔵作品が眠っているかもしれない。
江上は、歌麿、乾山調査のような胸の高鳴りを覚えた。だが、記者として残された時間はない。もっと早く手を付けていれば、と悔やんでも仕方ない。記者最後の記事として書き残すことにした。
温くなったアイスコーヒーがやけにほろ苦く感じた。
一休み後、私用スマホにおずおずと手を伸ばした。そろそろ選考結果がメールで送られているはずだ。電源を入れると、予感が的中したように秋田から新着メールが入っていた。不安と期待が錯綜する。タップしてメールを開いた。
ーーこの度は私どもの採用選考にご応募いただきありがとうございました。
また書類審査、面接にも参加して頂きましたこと、重ねてお礼申し上げます。
江上様からいただいた応募書類や面接を踏まえ、厳正に検討し、誠に残念でございますが、今回は採用を見送らせていただく結果となりました。ご希望に添えず大変恐縮ですが、何卒ご了承お願い申し上げます。最後に江上様の新天地でのご活躍を祈念申し上げます。
落選の通知だった。
落胆、納得、安堵、江上は複雑な思いに駆られた。
先方の意図する、一層の情報発信ならば人後に落ちない自信はある。記者としての取材経験であり、新たなストーリーの創作はまちおこしや小説執筆で養っている。その意味で素直に受け入れられず、一抹の悔しさが残る。
一方、採用する側に立てば65歳定年後の男は如何せん、薹が立っている。部下が上司を使いこなす格好となり、特に口うるさい記者上がりでは世話が焼ける。健康面は問題ないと言い張るが、持病の1つや2つはあるだろうし、環境の変化で体調を崩し、病院通いを始めては仕事に穴が開く。最長3年間の任期後も業務継続、定住してもらいたいが、本拠地のある高齢者では可能性はゼロに近い。その上、高齢者では若者に比べ福祉面での行政負担がかさむばかりだ。思いを巡らせば、江上も納得できる。
彼が心中、胸を撫でおろしたのも事実だ。65歳定年を機に、子供も親の介護からも解放された自由な立場を生かして、新天地で新たな人生を楽しむ。構想は一見、バラ色だが、妻の理解を得られず、わざわざ自然環境の厳しい地に単身で乗り込む決意を固められずにいた。
江上は窓外に目を転じた。
9月中旬とはいえ、まだ厳しい夏の日差しが欅の樹葉に降り注ぎ、芝生に緑陰をつくっている。物には明暗がある。
(せめてもの救い、いや収穫か。一次試験はパスしたじゃないか)
厳しい現実の中に、江上は一筋の光明を見出した気がした。
履歴書、職務経歴書に記載した記者、まちおこし、それに創作活動は認められた。大卒後、40余年、培った職歴が評価されたのはうれしかった。もし一次試験で篩い落とされていたら、前途が真っ暗になっていたに違いない。
裁断処分される履歴、職務経歴書の中に、
(俺の核心がある)
この日取材した、建具職人、田辺のぶっきらぼうな言い草が蘇った。
ーー俺にはこれしかねえ。好きでやってるだけだ
江上は何度も反芻した。
第18話に続く。