小説「遊のガサガサ冒険記」その1
あらすじ
小学4年生で初めていじめを受けた上清水遊は、父に誘われ川にガサガサに行き、外来魚の席巻に心を痛める。再度、独りで出かけ、ニホンイシガメを助けようとして川で流され、高度経済成長期の60年前の世界に入り込む。悪魔が人間の欲望を刺激し、生態系の危機が爆発的に進もうとしていた。悪魔に対抗する自制の神の神使から、遊は悪魔を抑え込む禁断の秘薬を神から授かるよう託される。遊は現実の世界でいじめと闘う一方、カメや翼を持つポニーら仲間と時代を遡り絶滅動物の調査を行う。その報告書を携え、神のいる天空に上るため、富士山踏破に向かう。遊ら調査隊の前には、悪魔の執拗な攻撃が待っていた。
その1、
あの一瞬を決して忘れない。
突然、周囲が真っ白な静止画となり、校庭にあった2階建ての校舎、サクラやケヤキの木々、校門に向かう同級生らの姿が消えた。
(悲しい、悔しい、何で、どうして)
その屈辱の時を思い出し、上清水遊は唇を歪め、
「ちきしょう、ふざけんなよ」
と、呟いた。こんな嫌な思いをしたことはない。言いようのない虚しさがこみ上げ、目頭が熱くなる。でも、遊はじっとこらえた。
ーー男は泣かないんだ。どんなに辛くても
丸眼鏡の似合う柔和な父・イリエスの躾だった。この日を予見し、乗り越えるための教えだったのか。
遊は悲しみの雫が頬に落ちないよう、天を仰ぐ。雲一つない五月晴れの空、眩しい陽光が涙で滲んだ。
昇降口を出て、校門に向かっている時だった。駆け寄る足音が迫って来ると、3人のクラスメートがとうせんぼした。直也に俊夫に弘樹の仲良しグループだ。直也がすたすたと遊に近づくと、顔を寄せて毒づいた。
「見たぞ、お前の親父、ガイジンじゃねえか。どこの国だか知んねえけど、ガイジンの子供はガイジンの学校に行けよ」
突然の理不尽な剣幕に気圧され、遊はただじっと立ち尽くした。
「そうか、だからお前の肌は女みてえに白いし、髪の毛は真っ黒じゃねえんだな。気持ち悪い」
罵詈雑言が遊の胸に突き刺さる。
「こいつ、ガイジンだってさ。ガイジンには転校してもらおうぜ」
直也に同調し、俊夫と弘樹が囃し立てた。
「そうだ、ガイジンは出てけ。出てけガイジン、出てけガイジン」
遊は両目を伏せ、拳に力を込めた。
遊らのいる4年3組はこの日の5時間目が授業参観だった。足利市立城西小学校では五月連休明けの授業参観が恒例となっており、4年3組では今回、英語活動学習が割り当てられた。
担任の女性教諭・臼井とALTのサンドラが指導に当たった。食材について欲しいものを尋ねたり答えたりするフレーズの練習で、アンドラが「レッツ スタート トゥディズ、イングリッシュ レッスン」と呼びかけ、授業は始まった。
「ホワット ドウユ ワント イート?」
授業半ば、アンドラが遊に問いかけ、彼は、
「アイ ワント イート ア ビーフボウル」
と、即座に流暢な英語で切り返した。
一瞬、教室が静まり、クラスメートの視線が遊に注がれた。つかの間の静寂を破るように、教室後方から拍手が鳴り響いた。居並ぶ父兄や児童が呆気にとられる中、1人の男が満面に笑みを浮かべ、手を叩き続ける。
クラスメートの父兄より頭1つほど背が高く、がっしりした体形、浅黒い肌に細面の顔は彫りが深い。遊の父・イリエスだった。際立った風貌は、ガイジンのインパクトを彼のクラスメートに与えるのに十分で、不幸にもいじめの導火線となった。
イリエスは地中海に面した北アフリカのチュニジア出身で、13年前、政情不安の母国を捨て日本に移住した。母国の大学で日本語と航空工学を学び、移住後、都内の航空機関連メーカーに就職。昨年の春、足利市内の航空部品メーカーに引き抜かれ、足利に転住した。その年の秋、東京支社に転勤となり、単身赴任している。妻の映見とは前の会社で知り合い、一粒種の遊を授かった。遊は母親の姓・上清水を名乗る。
遊は沈んだ気持ちで、校門を抜け、家路についた。自宅は学校の裏、大七山の東の山麓にある一軒家で、築100年、元養蚕農家の建物を借りている。蚕室換気用の小屋根が屋根の上に付いているのが特徴で、高窓の家とも呼ばれる。学校から歩いて15分程で、通学路沿いには民家や工場が立ち並び、水田や畑もあちこちに残っている。
「遊君たら、ちょっと待って」
振り向くと、クラスメートで隣近所の結城華が息を切らして立ち止まった。
「何度も後ろから声かけたのに、知らんぷりしているんだから」
「ごめん、気づかなくって」
「いいんだけど、私、偶然、見ちゃって。直也らに何かいじめられたんでしょう。まったくどうしょもないんだから、直也のやつ」
遊は両頬を膨らせ、視線を落とした。
「大丈夫?気にしちゃだめだよ」
「ありがと、華ちゃん。気にしてなんかいないから」
華の手前、平静を装ったが、彼女の労りに泣き出しそうになるのをこらえた。
「本当?それならいいけど。クラス替えで嫌な奴と一緒になっちゃったね。直也はいじめっ子だから、気を付けないと」
「分かった。ありがと」
お父さん、お母さんに話した方のがいいんだろうか。明日以降、どんないじめを仕掛けられ、どうやって切り抜けようか。遊の心は波立っている。
「そういえば、お父さん、久しぶりに帰ってきたんだね。お仕事で東京に住んでるって聞いてたから。わざわざ授業参観に来てくれたんだ」
華は遊の心中を察して、話を切り替えた。
「しばらくぶりに戻ってきて、それで時間を作ってくれたんだ」
「良かったね、明日は土曜日だし、日曜までいられるの」
「うん、月曜日の朝、東京に戻るって言ってた」
「じゃ、一緒に遊べるね」
その2,に続く。
その2:小説「遊のガサガサ冒険記」その2|磨知 亨/Machi Akira (note.com)