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佐野乾山発掘記⑭

  第14話、
「取材経過は分かりました。私が聞きたいのは、研究者の当てもつかずに締め切りに間に合うかということです」
 デスクの西城が苛立たし気に、右手のボールペンで何度も左の手の平を叩いた。
「周辺取材は進んでいるので……。とにかく取材拒否された大学教授らにもう一回打診して協力をお願いします」
 江上はハンカチで額の汗をぬぐった。
 7月末、宇都宮支社の定例部会が開かれ、議題は懸案の戦後70年特別企画だった。掲載時期は10月前後を予定しており、各担当者が取材経過を報告することになっていた。山口の那須水害、遊軍の吉原が死者45人を数えた川治プリンスホテル火災、県警担当の前原が作新学院の高校野球春夏連覇を説明し、江上の佐野乾山に移っていた。
「『話すことはない』『ノーコメント』でも談話として使えないこともないんですが、取材拒否では名前を紙面に載せられませんからね」
「県内の美術関係者とはコネができたので、誰か紹介してもらうしかないようです。直接、当たっても逃げるばかりなので」
「でも、これまで県内外の関係者を取材して協力を得られないんでしょう、見込みはありますか。それと写真は何か、当てがありますか。企画なので必須ですから」
「今のところ、生き証人なら乾山の佐野来訪に関わった須藤家の子孫と思っています。事件当時の騒動ぶりを覚えてますし、新聞記事など関係資料も保管していますから」
「悪くはありませんが、ちょっと弱いかな。当時、真贋の的となった200点余の陶器、関わった元所有者、美術商の写真が使えるといいんだが」
「いや、それは難しくないですか。あの200点は地元の旧家から買い取られ、都内の美術商や収集家の手元に渡って、しかも半世紀以上経つわけですから。探すといっても、誰にどう当たって突き止めるのか見当が尽きません。それに先程、報告したように旧家は門前払いですし、その美術商らも既に他界していますから」
 デスクの西城は再度、ボールペンを左手に叩き始め、
「難しいですか?さて、どうしましょうか……」
 と、口元を歪めた。
 重い空気が漂い、沈黙が流れる。
 取材を重ね、報道機関としてタブー視された佐野乾山に再度、光を当てる必要性は痛感し始めていたが、騒動再発の引き金を引くことに江上は躊躇いがある。
「感触として、あの200点について研究者はクロ、もしくは極めてクロに近いと見ていると思うんです。ですから、都内で開催中の乾山展でも展示されない。それでもシロと信じ、今でも所蔵する関係者がいる以上、写真一枚でも慎重に扱った方が賢明だと思うんです」
「つまり、どういうことでしょう?」
「紙面掲載することで、新聞社が真作だとお墨付けることになりかねません。少なくとも、所蔵する人たちはそう受け取ると思うんです、半世紀以上も日の目を見なかっただけに。今回の取材で、当時、日本産政新聞は『シロクロ、どっちでしたっけ』と皮肉を言われました。微妙な問題だけに、再度、騒動に発展したケースも考慮した方がいいのではないでしょうか」
「それは受け取る側の問題で、報道機関として公平、中立に報道すれば何も問題はない。研究者らが贋作と見なす佐野乾山の写真を掲載するにしろ、『真贋論争を巻き起こした佐野乾山の一つ』と紹介すればいいんですよ。タブーを暴き、社会に問題定義をする。新聞に課せられた使命を全うする格好の材料なんですから」
 正論を説かれ、江上は押し黙るしかなかった。今後の取材の難しさを考えると気が重い。
「この件はもう少し検討したらどうだろう。時間も押している。そろそろ次の案件に移った方がいい」 
 支局長の中山が口を挟んだ。
 
「やっぱり宇都宮だな。にぎやかで華やかでいいや。県北じゃ、この時間には誰も歩いてないからな」
 前から来た二人連れの若いОLに目をやりながら、山口は呟き、
「足利も同じだよ。寂しいもんだよ」
 と、江上は同調した。
 部会後、2人は繁華街に繰り出すことにした。部会での江上の心情を思い遣って、山口が誘った。山口は支社内の宿直室に泊まり、江上は最終電車で帰宅することにしている。
 山口の行きつけの小料理屋は東武宇都宮駅近くにあった。カウンターと小上がりの座敷にテーブル3卓があり、仕事帰りのサラリーマンら数人がいた。2人はカウンター席についた。
「ご苦労さん。江上さん、本当に今日はお疲れ様でした」
 山口は、江上のグラスにビールを注いだ。
「部会を長引かせちゃって、申し訳ない。まあ、デスクの考えも分かるんだけど」
 2人はグラスを合わせると、一気に飲み干した。
「デスクの西城さんはちょっと皮肉っぽいけど、真面目で仕事熱心で通っているから。戦後70年の節目の企画だから、相当、入れ込んでいるのは確かさ。紙面の良し悪しを決めるデスクの性なんだろうな」
「もっと、あの事件そのものに切り込まないととは思っているんだ。あの二百点を探し出すことも含めて。でも取材を進めるほど奥行きが広くて迷路のようで、生半可な知識や適当な取材では太刀打ちできないのをひしひしと感じている」
「タブーのタブーたる所以だよ。返り血を覚悟して、とことん突き詰めないと真相に迫れないんだと思う。しんどい作業だからこれまで学者先生も敬遠してたんだと思う。下手なことを言えば肩書に傷がつきかねないし、騒ぎになって渦中の人になるのを恐れているのさ。つまり保身だよ」
「酷なお鉢が回ってきたわけだ。記者だからしょうがないか」
「巡り合わせってあるじゃない。知らぬ間に引き込んじゃうっていうか、のめり込むっていうか、誰かに、何かに魅入られているって感じの時あるだろ」
「タブーに呪われた今の俺ってこと」
 江上は苦笑いを浮かべて、ビールを煽った。
「そうネガティブに考えなくて。これまでの取材経過を聞いていて、いい線をいっている気がするんだ。俺の地元で知らなくて恐縮だけど、篠崎源三に目をつけるって鋭いよ。佐野乾山の生みの親だろう。彼の業績はもっと評価されていいと思う。長い間打ち捨てられてきた彼を、今回、江上さんが追いかけることになった。偶然かもしれないけど、運命的なものを感じない?」
「確かにね。取材当初に貴重な乾山伝書の写本が偶然、舞い込んで、その謎を紐解くうちに篠崎の足跡を追いかけていたんだ。彼の調査は綿密だし、信頼に足ると思う。あの事件を巻き起こした200点もの作品が、どうして戦前、篠崎の調査の網にかからなかったのか不思議でしょうがないんだ」
「まだ篠崎を追いかけているの」
「知ってる?佐野の旧家の小野寺家」
「もちろん、家系を辿れば藤原秀郷まで遡る、佐野で一番の名家じゃない。その小野寺家が何か持っているの」
「先日、見せてもらったんだ乾山作とされる木製の菓子器を。篠崎の調べだと、足利の丸山家にもかつて乾山の皿があったというし」
 山口はグラスを置き、まじまじと江上の顔を覗き込んだ。
「このまま、とことん篠崎を調べ挙げたら。本当、大したもんだよ、そこまでこだわっていて」
「だけど、デスクの指摘じゃないけど、あの事件とますます離れちゃうからな」
「そうかな?ルートは違うけど佐野乾山には迫っていると思う。突き詰めた方がいい気がする。あん時、もう少しやっていればと悔やみたくないじゃない。ここまでやってきたんだから粘るしかないよ。あわよくば、瓢箪から駒ってこともあるし」
                        第15話に続く。

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