Every dog has his day.⑭
第14話、
歌麿の肉筆画はある。所有者も分かっている。だが、動きようがない。仲介役の神村にしても、他人の懐に手を突っ込む行為だけに慎重には慎重を期している。隔靴掻痒、もどかしさだけが募るが、焦っても仕方ない。目標は射程に入っている。幸運を祈り、その時に備えるだけだ。
江上はパソコンに向かい、デスクトップのファイルを開けた。ファイル名は文献資料メモ。図書館で文献に目を通し、ネットで情報を調べ、古書店で古書を買い集めては、それらの文献、史料などを随時、時系列に並べ、その概要を書きこんでいる。
歌麿と栃木市がクローズアップされた起点はいつだろうか。歴史を紐解くのが先決だが、泥縄式に肉筆画調査に明け暮れ、思うように進んでいない。空き時間を見つけては、江上はパソコンに向かう。
冒頭に「展覧書画目録」と打ち込んであり、参照=美術日本2号とある。江上は机上のファイルから、善野圭三郎から譲り受けた同専門誌のコピーと、林の調査報告書のコピーを取り出した。林の資料には美術日本の全文が載っている。
同目録には明治12(1879)年11月23日、栃木市旭町の定願寺で開かれた旧家の所蔵品の数々が列挙されてあり、その中に「雪月花図紙本大物 三幅対 善野氏蔵」と記載がある。歌麿の大作肉筆画「雪」「月」「花」が披露されたことを示している。目録の現物は市内の旧家にあり、江上は既に確認し写真に収めた。
当時、浮世絵はフランス印象派のゴッホ、モネ、マネらをはじめ海外の芸術家らの間で脚光を集め、浮世絵商が鵜の目鷹の目で買い漁り、海外に売り捌いていた。供給が追い付かず、贋作の制作も盛んだったとさえいわれる。
定願寺の展示が浮世絵商の耳に伝わり、8年後の明治20(1887)年までには「雪」「月」「花」いずれもフランスに海外流出している。
3作の流出のエピソードとして、東京のバイブルという綽名の古本屋が買い取り、木曽某の手を経て、膨大な浮世絵を海外へ売り捌いた浮世絵商、林忠正の手に渡ったと、後世の浮世絵商、金子孚水は著書「歌麿の歌まくら」(画文堂)で紹介。また雑誌「浮世絵志」15号=昭和5(1930)年3月=は「月」について、浮世絵商、小林文吉が横浜の外人に150円で売約。その情報を聞きつけた林忠正が小林を通じて破約させ、250円で買い取り所有していたが、フランスから帰国する際、林はフランスの美術商、ビングに譲った、と記している。
定願寺での展示以降、歌麿と栃木市の深い関りが美術商らの間に徐々伝わり、美術日本2号の特集記事につながったようだ。浮世絵研究家の尾高鮮之助が金子孚水の紹介で浮世絵研究家の島田筑波に栃木市での調査を依頼し、その調査結果を元に紙面化された。この報道を契機に、研究者や一儲けを企む美術商らの耳目を引き、栃木市での歌麿の存在が広く知られるようになったのではないか。
美術日本では善野の署名の入った目録の写真が掲載され、善野家と歌麿の関わり、「雪」「月」「花」の行方、当時、栃木にあった肉筆画などを事細かに特集している。
雪月花については、定願寺での展示の際、地元の美術商・大川峯三郎が善野家から会場に運び、「実に大きな作品で、巻いてある一幅の太さは7、8寸ありました」との談話を載せているのが生々しく、真実味がある。
大作「雪」「月」「花」のそれぞれの制作時期から、歌麿は江戸中期、天明8(1788)年前後以降、寛政3、4(1791~2)年、享和2~文化3(1802~6)年頃と3度、善野本家、釜喜四代目の善野喜兵衛、狂歌名・通用亭徳成に招かれ、栃木市を訪れた。滞在中に開いた画会が予想外に不人気で、歌麿の心情を慮った通用亭の叔父の釜伊初代・善野伊兵衛が大作3幅を制作依頼した、と浮世絵研究家の林は釜喜8代目喜平の談話として記録している。この大作を制作する傍ら、善野家や地元で交流のある人々の求めに応じ女達磨図などを描いた、と見られている。
江上は再度、パソコンのファイルに目を転じた。
展示書画目録の下段に「東京朝日新聞 『月』の下絵」とある。昭和5(1930)年1月17日付で、大作3幅のうちの「月」の下絵が栃木県日光市内の骨董店で発見されたと、写真付きで伝えている。
「新聞の見出しに10万円の価値とあって驚いたよ。下絵じゃなくて本物3つが残っていたら100万円は下らなかったろう。売ってしまって本当にもったいないことしたって、家中で話題になって」
釜伊6代目の善野圭三郎がつい昨日の出来事のように話していたのを、江上は思い出した。
新聞報道の翌年発行された「浮世絵大家集成第12巻歌麿」(大鳳閣書房)に、カラー写真付きで「土蔵相模月下遊宴図 4曲片双部分 某氏蔵」と掲載され、「東京朝日新聞に発表されて一躍その存在が世の中に知れ渡った」と付記している。
発見地の日光と善野家との関係では、時代は遡るが、近江守山出身の釜喜初代の後妻が日光生まれ。80年前の所有者とされる某氏、骨董店の所在も含め、追跡しなければならない。
江上はファイルのその下段に、美術専門誌「美術日本」2号と打ち込んだ。概略として当時、栃木市内に残っていた肉筆画として、「巴波川くい打ち図」(所在不明)、「女達磨図」(栃木市所蔵)」、「竹之図」「静物」「大黒布袋相撲図」「鐘馗之図」(いずれも所在不明)、と書きかけたところで、携帯が鳴った。
待ち受け画面に、神村、と出ている。江上は即座に応答した。
「江上さん、至急、私のところに来てくれないかな」
「何か、あったんですか、また例の件で」
「そうなんだ。西郷の奥さんから手紙が届いて」
「今度は手紙ですか」
江上はファイルを上書きし、取材バックを肩にかけて事務所を飛び出した。
第15話(6月26日掲載予定)に続く。
第15話:Every dog has his day.⑮|磨知 亨/Machi Akira (note.com)