佐野乾山発掘記⑯
第16話、
スマホから、同僚の山口の驚きの声が流れた。
「まさか、その話、本当?もしそうなら、大ニュースだな」
「まだ早いよ。確認したわけじゃないんだから」
「大丈夫、絶対、持っているって」
前日夜、京都旅行から帰国後、江上は仕事場兼書斎に飛び込んだ。篠崎の著書に列記してある一之沢家の所蔵品と、新聞コピーに含まれる盗難品を見比べた。
戦前、篠崎は一之沢家で現認した作品を、
ーー乾山自筆伝書「陶磁製方(佐野伝書)」
ーー「鮑貝形桜松図菓子器」
ーー「夏山水画丸皿」
ーー「梅蘭水仙画火入」
ーー小皿10枚
ーー素焼きの皿3枚
と、記している。
一方、この中で新聞に盗難品として掲載されているのは同菓子器、同火入の2点。陶磁製方をはじめ夏山水図丸皿、小皿10枚、素焼きの皿3枚は含まれていない。
被害に遭ったなら届けているはずだ。仮にそれ以前に盗まれているなら今回同様、大きく報道されていていい。
盗難以前に、譲渡された可能性はある。乾山が一之沢家のために作った伝来品ではなく、明治期の当主が趣味で古美術商から買い求めている。相続や経済的事情に迫られた際、伝来品に比べ処分するのに抵抗もないだろうが、売り払うなら全て一括ではないか、と江上は思った。
「被害に遭わず蔵に残った美術品について、一之沢家は再度、盗みに入られることを恐れて口を噤んだろうし、仮に警察に話したとしても、被害者の意向を汲んで公表しないな。それに一之沢家の所蔵は周知の事実なわけで、名家中の名家が体面を気にして簡単に任意売却はしないと思う」
「とすると、あのショッキングな盗難報道に惑わされて、勘違いしていたわけだ。全く、お恥ずかしい限りだよ」
「江上さんだけじゃないだろ。地元や県内外の美術関係者もそう受け止めたんじゃない。その証拠に、盗難事件以降、一度も展示されていないいんだろう。図録には掲載して、乾山展で展示しないなんて、おかしいよ。一之沢家の所蔵物だったことは知ってるわけだから、盗難を信じ込んで、一之沢家に展示の打診もしなかったんだろうな」
「だとすると、怠慢の何物でもないな」
「だって、タブーになっていること自体が研究者の怠慢だろう」
山口の言うとおりだが、研究者らを詰り、批判しても堂々巡りを繰り返すだけだ。真贋論争以降の報道を振り返れば、返す刀でメディアの姿勢も問われることになる。
「とにかく、一之沢家に確認しなくちゃならないな」
「よくよく篠崎と乾山に見込まれたんだな、江上さんは。再度、公にしてくれって促しているような気がする。それに秘蔵している一之沢家も扱いに苦慮しているかもね」
「だけど、どうやって一之沢家に当たろうか、見当もつかないな。まさか単刀直入に尋ねるわけにはいかないし」
「慎重の上にも慎重を期さないと。盗難の痛い経験もあるし、相当な経済的価値を持つだろうから、一之沢家のガードは固いはずだ。用意周到、勝負は一回だよ」
「確かに、他人様の懐に手を突っ込む行為に違いない。一度、『知らない』と拒否されたら、しつこく聞けないしな。一度失敗したら、多分、以降は玄関払いだと思う。犯罪者ら社会悪を追及するわけじゃないし、相手の理解を得て当たらないと。そこが難しいな」
「とりあえず、一之沢家の情報を整理しておいて。俺の方の管轄の旧家だから、情報が入り次第、連絡入れるよ」
一之沢家はかつて栃木県内を代表する大地主として知られ、特に明治期、当主の武太夫は実業家として活躍し、養蚕業、複数の銀行設立、那須野が原開拓事業など幅広い事業に尽力した。邸宅は旧奥州街道に面し、豪壮な長屋門、築地塀が巡らされ、広大な敷地には贅を凝らした入母屋造り平屋建ての客殿、和洋折衷の蔵座敷などが整備され、明治天皇の休息所にもなった。武太夫は古美術に造詣が深く、乾山作品は彼が収集した。
「地獄耳なんかじゃない、記者におだてられるなんて何か、気持ち悪いな。それに取材じゃなくて、相談事って一体、何のこと」
スマホを通じて、久保田の明るい声が響いた。
久保田は国会議員の秘書を経て、一之沢家のある地方都市の市議を務めている。
一之沢家の近況を探るため、江上は地元の博物館に電話を入れ、以前、リタイアした元学芸員、その学芸員の紹介で一之沢家と近しい旧家を紹介してもらったが、プライバシーを理由に断られた。ただ、元学芸員から「意義ある取材です。あの盗難事件以来、佐野乾山は有耶無耶になっているので」と励まされたのが救いだった。
思案に暮れ、何げなく手にした古い手帳の電話帳に久保田の名を見つけた。その手帳は地元紙の県政担当記者時代に使っていたものだった。議員は常在戦場で、選挙区内を日々くまなく回り、事情に詳しい。江上は早速、携帯電話で彼を呼び出した。
「実はそちらの旧家の一之沢家のことなんですよ。今度、取材で調べることになって、ご存じでしょう?」
「もちろん。旧家中の旧家で、この辺で知らない人はいない。貴族院議員も務めていたし、地元の名士だ。それで何を調べてるの」
「一之沢家で所蔵していた佐野乾山っていう江戸時代の陶工の作品類を追いかけていて。ぜひ、地元で事情を知る詳しい人を紹介してもらおうと思って」
「佐野乾山ね、聞いたことはある。あれ、盗まれたんじゃなかったかな。新聞で大騒ぎになってさ」
「蔵破りに遭った話でしょう。ここだけの話、全部盗まれた訳じゃないらしいんです。それで所在を確認しなきゃならないんですが、そういった込み入った事情もあるので地元の事情通を探しているんですよ」
「そう、そうだ。大事なことを言い忘れていた。話の腰を折るようだけど、一之沢さんはあの大邸宅にもういない。家屋敷を手放したんだ。今は市の管理だよ」
「えっ、いつですか」
「1、2年前かな。いろいろ大変だったらしい」
県指定文化財の由緒ある邸宅を処分したとなると、相続問題など複雑な事情が絡んでいるだろう。事情が事情だけに乾山作品も譲渡される懸念がある。やっと掴みかけた一之沢家の道程がまた遠ざかっていくような感覚に、江上は襲われた。
「そういう事情だから、地元の人は誰も口が重いんじゃないかな。敷居が高くて、私ももともと付き合いはないし、伝手と言われてもなあ」
「あの佐野乾山の作品は学術的にも大変貴重なんです。地元のお宝じゃないですか。どうしても取材したいんです。どんな情報でもいいんです。『誰に聞いた』と聞かれても、決して名前は出しませんから」
「そういわれてもなあ。一之沢家、一之沢家ね……」
久保田は必死に情報を呼び起こしている。
「そういえば、駅前に一之沢家の事務所があるって聞いたことがあるな。今もあるかどうかは知らないけど」
「そうですか。貴重な情報ありがとうございます。恩に着ます」
江上はスマホに向かって、頭を下げた。
第17話に続く。