「気晴らしに来たくて」
私設公民館を続けることに悩んだ1年間だった。
でも、今日ふらりと地元の中学生?高校生が
「気晴らしに来たくて」といとなみの扉を開けてきてくれた。
きっと勇気がいることだったろう。
この田舎でこの場所が空間が彼の気晴らしになることに繋がってるなら、やってきたことも無駄じゃないなと胸がギュッとなった。
もっとしゃべりたい気持ちをグッと堪えて。
「またおいで」と声をかけて見送った。
また気晴らしに来てくれたらうれしいし、もしこなくても彼の気晴らしが完了していつもの日々がまたやってくるなら何よりだ。
誰かにとっては本を読む場所。
誰かにとっては音楽を楽しむ場所。
話す場所、つくる場所、人と出会う場所、一人になる場所。
この場所は何かの結果を目指す場所ではなく、何が生まれるかは神のみぞ知るで、でも何かが生まれるための土壌をふかふかの土壌を耕していくことが自分たちの使命だと思って、たんたんと場を開いていこうと思った。
そもそも、文化は無理筋だが時間をかけてつくるものってゆる言語学ラジオでも言ってじゃん。
引き続き腐らず、この場を耕していこうと思います。
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