移住者のまちと居場所の生活関係づくりを巡る鞆の浦ツアー(福山プロジェクトを巡る旅|ツアーレポート〈後編〉))
前編(福山市山野町)
古民家カフェ「ありそろう」で知る、鞆に移住した人たちの居場所と生活
いよいよ2日目、鞆の浦の旅が始まります。参加者一同は、長田涼さん、果穂さんのご夫婦が営む古民家カフェ「鞆の浦ありそ楼(通称:ありそろう)」を訪れました。
1階にはカウンターと図書スペース、愛おしそうに展示販売されている小道具が印象的です。2階と3階はカフェ利用できる畳のスペースが用意されていました。目を向けた場所には長田さんご夫妻が大切にしている書籍があり、ゆっくりとお茶を楽しみながらありそろうの世界観や哲学にふれられそう。
参加者は3階の和室に移動。長田涼さん、大阪公立大学の土井脩史(どいしゅうし)先生と共に、鞆の移住者が拠点としている居場所や拠点をプロットした地図を見ながら、移住者が地域に溶け込むきっかけとなっているポイントを探るワークショップを行いました。
土井先生や土井ゼミの学生さんは、移住者の生活が地域の中でどのように広がっているかを調査するべく、鞆の移住者にインタビューを実施しています。生活を空間的に把握するため、地図上のよく訪れる場所にシールを貼ってもらい、生活圏を可視化。この地図は、ツアーに同行していた学生さんが作成しました。
「こうしてプロットしていくと、重なる場所やずれている場所が見えてきますよね。シールが重なっている場所はキーとなる重要な場所といえます」と土井先生。
長田さんも、土井ゼミの調査に協力した鞆の移住者のひとりです。長田さんは子育てをする場所を求めて2022年2月、妻の果穂さん、お子さんと一緒に東京・高円寺から鞆に移住されました。現在は、大正6年に建てられ遊郭として使われていた古民家にて、カフェの営業、そして長田さん一家に縁のある雑貨の販売などを行っています。
十和田市、日南市、今治市、尾道市向島。長田さん一家は各地で1週間ずつ暮らしながら、移住先を探したそうです。尾道の滞在中にたまたま訪れた鞆の浦。「なにかビビっと惹かれるものがありました」。
さらに、「移住してからは、地域の祭りに参加したことで地元の方たちに真に認められるようになった気がします」と続ける長田さん。鞆の浦は祭りが非常に盛んな土地。こうした地域の祭りは、移住者が地域に溶け込むきっかけやコミュニティ作りにつながっているのだそうです。
「鞆の人口はおよそ3,500人弱と決して大きくはない町なので、移住者がやってくるという情報はなんとなく耳に届くんです。だから、実際に移住された人がいたら歓迎会を開きます。場を開くことによって、つながりが生まれて広がってゆくと感じています」
長田さんは移住後、自身のライフワークとして鞆の魅力を発信していました。すると地域の外からさまざまな人が長田さんに会いに鞆を訪れるように。こうして「ありそろう」は、地域の“発信源”であり、移住者や市外から訪れる関係人口と、地域の住民の架け橋となる“駆け込み寺”となっていったのだそうです。
「長田さんのようなキーマンが1人地域に入ることが、その地域にとってターニングポイントになります。もともと自然発生的に起こっていたことが、1人のキーマンの存在によってはっきりと可視化されるようになるからでしょう」と土井先生は分析します。
長田さんは、リモートワークで続けている本業の仕事や「ありそろう」運営の傍ら、鞆に地域の交流スペース=銭湯を作ろうと、銭湯について学ぶスクールを立ち上げたといいます。銭湯を一から作ろうという豊かな発想にも驚いてしまいましたが、そうして事が始まっていくと潜在的な“銭湯好き”や地域に関わりたい人たちが仲間になって集まるようになり、またひとつ、小さなコミュニティが生まれることに納得してしまいました。
「ありそろう」に行けば、この地域と関わるためのヒントがきっと何か見つかるはず。そんな気持ちをいだけるような、鞆の大切な一拠点だと感じることができました。
町のシンボル・常夜燈に立ち寄り、“鞆時間”を体感
「ありそろう」を出発した私たちは、常夜燈に向かいました。常夜燈は鞆港の西側に佇む鞆の浦のシンボリックな存在で、雁木や船、海に溶け込む風景は「これぞ鞆の浦」と誰もが実感してしまうほどの、静かな説得力があります。
思い思いに写真を撮りながら、鞆の浦の景色と雰囲気をまぶたと心に焼き付けていきます。この日は休日だったこともあり観光客の姿もたくさん見られましたが、どこかのんびりとした鞆の町の空気が喧騒をやわらげてくれたように感じました。
町の福祉拠点「クランク」でおにぎりとスープをいただくランチタイム
お腹が空いてきたところで、おにぎりとスープがいただけるカフェ「クランク」へ。ここは介護事業所「鞆の浦・さくらホーム」が運営する福祉拠点でもあり、就労支援B型事業所、相談支援事業所、そして駄菓子屋を併設しているそうです。
ここは、カフェ(クランク)、駄菓子屋、こども園、鞆の津ミュージアムといった施設と福祉がつながるエリアとして、鞆の浦を語る上で大事なエリアとなっています。
元気に歩き回っていた我々ですが、冷たい風のふく1月の寒空のもと。体はあたたかいスープを熱望していました。
入江保命酒の酒粕入り豚汁、旨辛チゲをチョイス。おにぎりは、塩むすび&玄米むすびです。滋味深いスープでしっかりあたたまり、体の内から元気の出るおにぎりで腹ごしらえ。これこれ、こういうのがいい。おにぎりって、心と体を整えてくれる料理の中の発明です。
おにぎりとスープであたたまった後は、同じ敷地内にある「だがしやクランク」を覗いてみました。
昔ながらのなんとも懐かしい駄菓子が所狭しと並ぶ店内、手書きの値札がなんかいい。おこづかいの中から一生懸命どれを買うか吟味していた子ども時代を経て、小さなかごいっぱいに駄菓子を詰めて、夢の“大人買い”にいそしむ大人たち(笑)
同じスペースでは、新聞紙のショップバッグが今まさに製作中といったタイミング。買った駄菓子は、この味わいのある袋にその場でまとめてもらえるというあたたかさ。
同じデザインのものはひとつもない、全てが1点もののショッパー。あまりのかわいさに、その後の行程ではこの袋をぶら下げながら歩くツアー参加者が数人もいました。
まちづくりの視点から人と物件をつなげてくれる稀有な不動産屋「瀬戸内セブン不動産」
次に訪れたのは、鞆の町の不動産屋「瀬戸内セブン不動産」です。主に福山市の物件を取り扱い、空き家問題を抱える鞆においては、賃貸での運用や、鞆に住みたいと希望する人が望む形の住まいを提供する仕組み作りも行っています。
代表を務める高橋源さんは福山市出身です。不動産業界未経験の中、2021年に宅建(宅地建物取引士)の資格を取得し、そして2022年前に「瀬戸内セブン不動産」を開業したそうです。
従来の不動産屋の枠にはとどまらない自由な発想が特徴で、鞆の風景を残すために「町の大家」になろうと奔走しているキーマンのひとりです。希望者と物件をただつなぐのではなく、まちづくりの観点から本当に求められているサービスを提供する。その存在はまるで、町の御用聞きのよう。
ちなみに高橋さんに「瀬戸内セブン不動産」の屋号の由来について尋ねると…
「鞆は7つの町で成り立っています。ほかにも瀬戸内は7県がフィールドだったり、世界は7つの海でつながっていたり、ウルトラセブンみたいに迅速に駆けつける。とにかくいろんな意味を込めて名付けました」とニヤリ。
具体的な物件情報を見せてもらうなどして、現実的に鞆に関わる方向性を示していただいたのが印象的です。鞆の浦への移住を検討していたという参加者の方はこの翌日、実際に内覧に行かれたようです。移住の中でも「住居」は大きな要素なので、瀬戸内セブン不動産のような存在が地域にあることで、生活への解像度がぐっと高まるのではないでしょうか。
暮らす拠点があるって、地域に関わる上で大きなこと。スタイルに合う物件との出会いをサポートしてくれる、頼もしい不動産屋でした。
「鞆の浦・さくらホーム」や保命酒の名店「入江豊三郎本店」など、町を覗く鞆散歩
ランチで入った「クランク」をはじめ、宿泊地となった「燧治(ひうちや)」も運営している生活密着型の多機能施設「鞆の浦・さくらホーム」にも少しだけ立ち寄り、藤本さんが事業所について説明してくれました。
築300年以上というこの建物はもともと醸造酢の製造所だったそうで、現在はデイサービスとグループホームを兼ね備えています。閉じきるのではなく、中と外がしっかり地続きになって地域に続いている構造で、高齢の方も、障害のある方も、子どもも、若者も、町全体で見守り合っている鞆の町を象徴するような大事な場所だとわかりました。どこかでまた、しっかりとお話を聞いてみたいものです。
休憩場所を求めて次に向かったのは、町並み保存拠点施設「鞆てらす」。鞆町に伝わる伝統や祭り、町並み保存の取り組みの紹介などの展示が充実していて、町の「?」や歴史を知るヒントがつまった資料館として、観光客だけでなく住民にも欠かせない施設です。
展示されている資料の数はかなりのもの。町の真ん中にこんな施設が設けられているということが、この町の宝のようにも感じます。
明治時代から保命酒(ほうめいしゅ)を造り続けている「入江豊三郎本店」にも立ち寄り、おみやげ購入タイムとなりました。「保命酒」とは江戸時代から続く薬酒(アルコール度数は40%ほど)のことで、鞆の浦の特産品です。現在鞆の浦では、4つの蔵で保命酒造りが続けられていて、それぞれに味わいの特徴が異なるのだそうです。
たとえばここ入江豊三郎本店では、みりんと16種類の薬味をブレンドして保命酒が醸造されています。ドライバーのため残念ながら試飲はできませんでしたが、毎年秋に数量限定で瓶詰めされるという「おり酒」を予約注文してきました。タンクの底に沈殿する、新酒のにごり部分を詰めたものだそうで、昨晩「鉄板 きち」でいただいたものがたいそうおいしかったのです。これでまたひとつ、再訪する理由ができました。
また、この旅の発起人である藤本和志さんは、入江豊三郎本店と縁を深めている人物のひとりです。日本各地の人と食のつながりを味わうローカルプロジェクト「ひと旅のごちそう」では、2023年夏、入江豊三郎本店と共同で商品開発を行いました。京都のほうじ茶をベースに、保命酒のスパイスが数種類ブレンドされた薬膳茶「循環茶」です。
「食」を通じて地域にある魅力に出会う、気付く。こうしてローカルプロジェクトで生まれたものをいただくと、旅が終わった後もなお、この地域に親しみを感じることができそうです。
「福禅寺 対潮楼」で、鞆の歴史に思いを馳せる
次に向かったのは「福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう)」。福禅寺は平安時代に建立された寺院で、対潮楼はその後寺の客殿として建てられました。江戸時代には、朝鮮通信使の迎賓館としての重要な役割も果たしていたそうです。
沼隈半島の東側に面しているこの座敷は、窓枠が借景となるよう造られました。かつて対潮楼を訪れ、ここからの眺望を前にした朝鮮通信使は、「日東第一形勝」(日本で最も美しい景勝地)という賛辞を贈ったというから深く頷いてしまいます。目の前に広がる海と、近くに佇む島々の自然を前に、しばし時を忘れて見入ってしまいました。
福禅寺の副住職、菅田直人さんはなんと、数年前まで新聞記者というキャリアを歩んでいたといいます。福禅寺と対潮楼が歩んできた海外と日本をむすぶ役割や歴史、建物の構造、島々の説明を受けながら、参加者みんなで鞆の歴史に思いを馳せました。
宿「燧治」に戻り、この旅を振り返る
行程の最後は「燧治」で2日目の旅の振り返りを行いました。土井先生は「鞆の町を見ていると、移住って数を増やすことが本質ではないということがわかりますよね。つながりの強さに価値がある」とまとめてくださいました。旅に参加されていた土井先生のゼミの学生さんは「鞆の浦に通いながら移住者と地域の卒業研究をしたいと意志表明もされていました。
参加者のみなさんからは、「まず自分の商売がたつというバランスが大事だと感じた」、「徒歩でいける範囲にローカルプロジェクトが凝縮されていた。何もないなんて、ないじゃないですか。『あるやん』と思いましたね」といった意見が。中には鞆の浦は数回訪れたことがあるという方も何人かいて、前回よりも明らかにローカルプロジェクトの増えた町並みに驚きの声もあがっていました。
この旅には、鞆への移住を検討している方もいれば、研究のために参加した学生、すでに福山市の関係人口として何度か訪れている方、いろんな立場の人がいましたが、みなさんそれぞれが何かを持ち帰ることができた充実の時間となったようです。鞆の移住者それぞれが自分で考えて行っている活動が町に調和し、有機的なつながりが生まれていることを、私も見て感じ取ることができました。
ひとたび地域に足をのばしてみると、わかることがある。鍵となるような人・物・事に出会いながら、明日へのヒントを受け取ったようなひとときを過ごすことができました。
(執筆と写真・藤本和志、Hisako Ono、安藤未来〈2日目担当〉)
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