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「おいしい」が元気の源。 中華鍋を振り続けた65年

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。
2024年10月11日よりクラウドファンディング実施。
2024年11月22日-24日の3日間、東京原宿のSPACE&CAFE BANKSIAにて写真展開催。記事だけでなく、支援と来訪心よりお待ちしております。

千葉県・市川市の中華料理店「芙蓉亭(ふようてい)」。週に5日、元気に朝7時から仕込みをする山口八郎(やまぐち・はちろう)さん、85歳。

地元で愛され続け、筆者の増田と、撮影の中村も小さい頃からよく通っていました。

最近は肩や腰の痛みでなかなか中華鍋を振るうことも少なくなりましたが、いくつになっても「お客さんが美味しいと喜んでいる顔が一番嬉しい」と私たちに話をしてくれた八郎さん。おいしいチャーハンは今でも健在です!


欠かさず出勤 週5日の仕込み

ー今は何の仕込みをされていますか?
八郎さん:仕込みはねスープ取ったり野菜刻んだり。火・水曜日が休みで、それ以外の日は毎日仕込みしてる。
 
ー昔は配達されていましたけど、配達なくなったんですか?
八郎さん:動けなくなったからさ。おれ、シニアカー乗ってんだもん。バイクの免許返納しちゃった。
 
ー芙蓉亭何回も来たことあるけど、ここに入ったのは初めてです
八郎さん:たまに小さい子が鍋を振るうのを見てるくらいだね。
 
ー仕込みはいつも何時くらいまでしていますか?
八郎さん:朝7時くらいからみんなが来る11時くらいまで。スープとるのに時間かかるからさ。
 
ーカメラまわしますね。懐かしいカメラではないでしょうか?
八郎さん:本当だね。こないだもうちの店、テレビ出たんだよ。おれは映ってないけど。
 
ーそういえば、八郎さんのご出身はどちらですか?
八郎さん:新潟。新潟県十日町市、雪が多いところで、4mくらい積もる時もある。二階から出入りできるくらいね。長野県との県境。
 
ー最近は新潟も雪があまり積もらなくなってきたと聞きました。
八郎さん:おれが住んでた小学一年生の時が一番すごかった。おばさんが疎開してきて驚いてたよ。

兄の誘いで魚屋から中華料理へ

ーおいくつの時に市川に来たのでしょうか?
八郎さん: ちょうど20歳の時。もともとは魚屋で働いていた。中学卒業して、すぐに。
 
ーどこでやっていたのでしょうか?
八郎さん:東京・北区の十条銀座商店街の近く。そこに魚屋があって、先日行ったらあまりにも静かでびっくりした。おれたちがいた時は、合計40人くらい働いていて、トラック20台くらいの魚が来てた。それを毎日捌いてた。
 
ーなぜ魚屋を選んだのでしょうか?
八郎さん:新潟の魚屋で2年くらい働いて、そのまま魚屋に養子に入ったんだよ。新潟はやっぱり寒くて、体壊しちゃってさ。温かいところがいいって言って東京出てきたけど、東京も全然暖かくなかった(笑)。
 
ー魚屋で働くのが好きだった?
八郎さん:魚が好きだったからだね。魚屋になって、働くからには大きい魚屋に行きたいと思って十条の魚屋に行った。
 
Q.それからなぜ芙蓉亭に?
ー兄貴が「店出したい」と言ってて、「おれの店が落ち着くまで、手伝ってくれ」と。その話を魚屋の社長に言ったら、「じゃあ、店が落ち着いたらまた帰ってこいよ」と言って見送ってくれた。そしたら、おれもここ(芙蓉亭)に落ち着いちゃって、兄貴と2人でこの店を始めた。昔はもうちょっと先に構えていて、この場所じゃなかった。開店したのは、昭和35年。
 
ー八郎さんは何人兄弟ですか?
八郎さん:10人。一番上が1歳を迎える前に亡くなって。おれが8番目。一番上と一番下が18個離れていて、年子がいない。全員2個違いだった。一緒に店出した兄貴は4番目で、もともと中華の料亭で働いてた。そこの料亭が芙蓉って名前で、その後潰れてしまったんだけど、今度店出すって相談をした時に、兄貴が「店出すなら芙蓉をもらっていいか?」と話をつけて、そこから名前をもらって、この店の名前が芙蓉亭になった。

八郎さんのチャーハン再び

八郎さん:朝飯食べてきた?チャーハン食べる?
 
ーいいんですか!作るところも撮ってもいいですか?
八郎さん:いいよ。チャーハンやるね。カンッカンッ(中華鍋を振る音)。振ると腰が痛くてだめだ、肩も痛い。思うようにいかないんだよ。昔からチャーハンやってたからね。
 
ー振れるならずっとチャーハンを振りたいですか?
八郎さん:肩が動かないからあまりやってない。ちょうど半年くらい前かな。急に肩が痛くなって。暇さえあれば整骨院に行って、少しは良くなった。もう八十肩だよ(笑)。
 
ーいただきます。スープまですみません。美味しいです。昔はグリーンピース入ってましたよね?
八郎さん:今は入れたり入れなかったりだね。メニューも結構変わったでしょ?兄貴の方が福建料理。せがれは、四川料理で全然違うからさ。
 
ー今もお兄さんはご健在ですか?
八郎さん:もう10年前くらい前に亡くなった。兄貴が1代目、おれが1代半目、せがれが2代目。
 
ーお兄さんからお店に誘われた時は、どんな気持ちでしたか?
八郎さん;兄貴からの誘いだし、しょうがないなと思った。肉をバラすのはできたけど、料理を習ったのはここに来てからだね。

「毎日楽しくやってる、それが一番」

ーやめたいと思ったタイミングはありますか?
八郎さん:一切なかったね。なんでもおれは辞めたいと思わないんだよ。魚屋もそうだし、何をやっていても。仕事が好きだと思う。
 
ー何やっても楽しいんですか?
八郎さん:農業とかもそう。兄弟の中で、学校を一番休むのはおれだった。小学校の時、田植えの時期になると、よその家の田んぼまで行ったくらい。そこの家の子は学校行ってるけど、おれがそこの家の田んぼやってね。
 
ー働いてて何が楽しいですか?
八郎さん:お客さんに美味しいって言ってもらえることが一番だね。それが一番。なんでも楽しい。誰にでもいい顔してるからさ(笑)、 だから、村では八郎みたいになれって小さい頃言われたよ。そうやって褒められるから余計悪い子になれないって。同じ村に八郎が2人いて、八郎みたいになれってことで、八郎って名前つけられた子もいたよ。
 
ーこの60年はあっという間?
八郎さん:早いね、60歳を超えたら歳食うのも早いよ。1年がだんだん早くなる。
 
ーもし今の時代に生まれ変わったら、どんな職業に就きたいですか?
八郎さん:中華屋になるだろうね。前は魚屋って言ってたと思うけど、今は中華だね。毎日楽しくやってるからね。それが一番じゃないのかな。でも、ここまで続くとは思わなかった。

取材後記

例年でいえば、8月の第一土曜日に開催される千葉県市川市納涼花火大会。「今年は下旬に行われる」と、八郎さんが仕込みをしながら、私に教えてくれた。まさに、ジモトークなわけで、長らく地元の花火大会には行っていないことに気づいた。
 
実家に住んでいたころは、家の屋上から家族と見たり、自営業をしていた母方の祖父母が観覧客向けに開いた出店で、一丁前にビールの売り子をしたりと懐かしい思い出が蘇る。市川市にはたくさんの思い出がある。
 
実は、芙蓉亭さんとは昔から縁がある。祖父母は製麺所をやっていて、祖父が中華麺を芙蓉亭さんに配達していた。祖父が配達に行く際、車に同乗させてもらい付き添ったこともあった。八郎さんと祖父が外で話しているのをよく見かけた。取材後、電車に揺られながら、亡き祖父を思って市川駅をあとにした。
 
小中学校の部活終わりに、友人と行ったり、家族と行ったりもした。誰と行こうと決まって炒飯を頼む。稀に、炒飯に勝つ焼肉定食。2品目は、担々麺か、かた焼きそば。焼肉定食はもうないけど、何を食べても芙蓉亭さんの料理は、すべて“忘れられない味”。
 
忘れられない味、みなさんもありますか?食べただけで思い出す、あの頃の記憶。小学5年生の夏休み、部活漬けの日々。午前の吹奏楽の練習後、午後のサッカーに備えていた。祖母からもらったお小遣いでちょっと贅沢をしたい、束の間の休息で英気を養いたい。そんな気持ちだったがなにより、あの味を求めていた。
 
その場には、今回撮影を担当した中村もいた。部活に関するたわいもない話をしながらチャーハンと担々麺を胃に流し込んだ。時間がないのもあったが、あっという間になくなった。「部活頑張っているね、よく食べるね」と厨房にいる八郎さんが声をかけてくれたのを覚えている。炒飯はサービスで大盛だった。
 
取材の時、初めて厨房に入らせてもらって感動した。こんな近くで八郎さんが中華鍋を振っている姿を見ることができた、大好きな炒飯の具材や調味料を目の前で見ることができたわくわく感。いろんな感情がこみ上げた。
 
その中でも、「おれシニアカー乗っている」と話す八郎さんを見て、寂しくなった。
いつも溢れるくらいのスマイルで自宅に配達してくれた八郎さんを思い馳せ。これからお元気に頑張ってください!

増田 亮央(ますだ りょお)

 

芙蓉亭

〒272-0826 千葉県市川市真間4丁目5−2
営業時間:月・木・金・土 11:30-14:00 / 17:30-21:00
        日・祝 11:30-14:00 / 17:30-20:00
定休日:火・水
TEL:047-372-0461
HP:https://fuyoutei.co.jp/

取材/ライター:増田 亮央
編集:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜
撮影:中村 創

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