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はじめての記憶

物心がついてかつかずか、記憶の蔦を辿った最古の記憶は一体全体どんな光景でしょうか。ましてや意識のうちに音楽を聞き出したのは、いつ何時の事だったか定かな方が珍しいと言いたげな顔をしています。

なんて言うのもついこの間、初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたのが3歳のお遊戯会のお昼の時間だったと饒舌に語ったばかり。この頃はやや大きいレゴ・ブロックの海に体を潜らせガチャガチャ泳いだり、お誕生日会に出てくる使い回しのケーキが本物かどうかのチェックに無心していた頃合いです。幼児に味なんか分かるぞや分からんぞや、ピクルスが2枚も入っていた恐怖に、以後絶対にバンズを捲るクセがついてしまいました。因みに、準くんのマクドナルド嫌いは健在です。絶対に車内で食べないで貰えますか。

歴史は年号で覚えろとよく言われますが、人の記憶も記号化してしまえというのがオチです。自分の倍もあるラジオの前でチューブわさびをマイクに見立てて歌う姿が、実家のアルバムにございます。時は1999年。御歳5歳の出来事。嵐のデビュー曲A・RA・SHIと郷ひろみのGOLDFINGER'99を飽きることなく毎日歌っていました。奇しくも準少年の音楽の記憶は、この2曲から始まっています。だから何かと聞かれたら苦しいものがありますが、あの頃肌身で感じていたものをこの曲らを聞くと思い出せるような気がするのは、懐古主義も悪いことじゃないと思ったりなんだり。モーレツオトナ帝国は一人で勝手に展開しやがれと言いたげですね。ただ、思い出話に花を咲かせるのは二人以上と相場が決まっています。忘れる事が余りにも容易な分、思い出すことは非常に楽しくて愉しい。隙あらば自分語り。ネットの海にわざわざ白紙を作ってまで、語り足りない人生を誰に頼まれるでもなく振る舞うのは、バツの悪い心地良さがあります。

要するに初めから嵐が好きなんですねと思った方は半分正解です。古参アピールに鼻で笑った方にはとっておきの笑顔を贈れたらと思います。半分正解とはもう半分はなんぞやと、そういう話もありまして、ここで年号記号の為せる技、1994年生まれのみんな集まれと声を大にしたつもりで思うんです。勝手に"華の94年"と呼んでいる一際眩しい天才の多い世代ですが、負けじとこれから闘っていけたらなと感じるところ。スロースターターなもので、28年たった今やっと戦いのステージに立ったのかなと思う次第です。やっとハンターライセンスを貰えたと思えば裏ハンター試験があるなんて、よくできた社会の縮図じゃないですか。就職してから念を覚えるなんてコスパ悪いと思えるのは、無知の知を無念に踏んできたからでしょう。踏み絵くらい擦り減ってるのは、社会人の心なのかもと言ったもん勝ちだなと思います。

つらつらと希釈しながら話をするのは昔から得意な方で、無駄に時間を溶かすにはもってこいの人材と専ら高い評価を受け入れておりました。話が長いとも言われますが、人は僕の話を聞いていないのもよく知っています。問題はあなたが何を拾い上げるかに掛かっていて、言葉を尽くす僕は空気ばかり気にかけてしまうのが世の常です。投げかけるものは響くものがいい。響くなら満足されているといい。満足されるなら求められるものがいい。何が欲しいか問うことなく、一方的な主張だけで需要を築き供給を満たす、不可逆性の満足を提供できたらと思うところなんです。そうそう、抽象的な発言が多いともよく言われましたね。具体例は補助輪なので早く外しましょう。ほぼ東京は絶対に東京ではないように、概念をそのままに理解するのです。そうして我々の曲をそっくりそのまま受け入れてもらったら、抽象屋としては願ったり叶ったりなんじゃないかと思うわけです。音楽に形があったら怖いですもの。

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