毒を食らわば皿まで
昨日はレコーディング日和も日和の悪天候、大雨に晒されながらギターアンプを運び込みました。過乾燥の弊スタジオがほんのり和らぐくらいには湿気ているケースを除湿してる間に、和気藹々と音録りが始まります。ちなみに写真はカナーリ前の別のスタジオ。のほほんとしていたら写真すら撮らず、行き当たりばったりの人生です。画面ばかりを見つめる日常にはもう皆さん慣れましたでしょうか。
天気も分からない遮光ルームに閉じ込められ、エンジニアらしくモニターとにらめっこしてる風を装いながら、よくもまあ飽きずに眠くもならずに続けられるよなと我ながら感心していたら、後ろで誰か寝ているなんてあるあるを言いたいところです。眠いときに寝るスタンスで生きてはいますが起き続けるということは得意で、かつほぼ無尽蔵の体力を持つが故の気絶睡眠。一度寝たら起きない上に寝起きが酷いという称号ばかりがひとり歩きしております。火中の栗に一端の理解を示しつつも納得のいかない評価ではありますが、起動後しばらく返事すらしないというところが評価直結のパロメーターらしいというのが、経験に基づいた今のところの実測値になります。電話とアラームで99.9%起きる能力もあるのに、活かしきれていないのかもしませんね。寝起きの通話は絶対に覚えていないので、メールでこの内容をくださいとだけ一言添えるように投げかけ、再び眠りに就く日々を送っています。
前置きもそこそこに、昨日のレコーディングの話でもと筆を執ったのが始まりです。あまりにも長い前置き、俺じゃなきゃ読み飛ばしちゃうねとここまで辿り着いた人はどのくらいいるでしょうね。レコーディングギタリストは写真の二人で、MarshallのVintage ModernとKemperと対象的なアンプでのREC.でした。皆さんお馴染みのMarshall JCMシリーズとは打って変わって、まるで時代を自由に行き来するかのツマミを持っているVintage Modernですが、ビンテージとモダンとはまた相慣れない組み合わせを命名したなと巧妙な作為的設計に納得せざるを得ないアンプです。我らは聞き慣れたものですが、このアンプでジャムファズサウンドの核心部分が鳴らされている非常に重要なパーツだと理解しています。ただあまりにも重い。これを毎回運ぶ身にもなれと文句を唱えつつ、その答えはKemperが一つ持っていることも本当によーーーく分かっています。
現代ギターシーンにて兎にも角にもフューチャーされるKemperですが、発売から10年以上経ても未だにモデリングアンプの最高峰に君臨していることに素直な尊敬の念を抱きます。有名無実と罵る声はあまりなく、真空管アンプと比較され続ける歴史がこの10年です。出音については申し分なく、Kemperを棄てる日が来るとしたらそれは真空管アンプが淘汰され尽くした未来に、今日までのギタリスト達が積み上げてきたサウンドが意味を為さなくなるその時になるんじゃなかろうかと思うわけです。要はKemperを凌駕する機器が出現するよりも、良いとされるサウンドが根本から変わる方が現実的だなと想像するわけです。その前にパーツの劣化やら製造困難やら、物理的にオサラバすることは想像し易い未来ですがね。
話を戻しつつもレコーディングの現場で何を拾い上げるべきかと考えると、オマエが良ければいいじゃんって話に落ち着きます。問題はこの"オマエ"の意味するところで、どれだけの"オマエ"を内包することができるかが、サウンドメイクの究極目的だと勝手に理解しているところです。目の前に居ない人を納得させることは難解だと、詰まる所そういうことになります。全くテクニカルに話をしてくれない文章で些か申し訳ないとは思うのですが、その気がないわけではないとお茶を濁すのを良しとする文化も一興かと思いませんか。敢えてなにか言うとするなら、コミュニケーションを怠るなと説教臭い言葉を遺しておきましょう。コミュニケーションが高度になればなるほど、操るべきツールが見えてくるものだと思うんですが、どうでしょう。そのときやっとこさ積み上げた知識やら経験やらが大立ち回りで役に立つ、エンジニア冥利に尽きる時間に繋がるという算段で、ここはひとつ。
コミュニケーション能力が取り沙汰される現代では、会話にその意味が限定されがちです。意外や意外、会話で得られる情報なぞ一握りに過ぎないと体感値で理解している人ばかりでしょうが、それ以外のリソースを蔑ろにしているのが現代人らしくて愛おしく思ったりもします。音楽を介したコミュニケーションはその例外も例外、会話はしないしリアルタイムでもない劇的な一方通行性を突き詰めた限定的な要素ばかりな気がしなくもないですが、これまたツールとしての働きを様々してくれる意外な変貌性をさも当然と錯覚してしまいます。忘れそうになりますが、膨大な数の人間がその度合いは違えど皆々音楽を嗜むとは、信じがたい凄味を帯びていて緩い感動をしてしまいます。あまりスケールが大きいと、なんとなくスゴイくらいにしか感じられないのが人間らしいというべきなんでしょうか。それ程までに人類をハックしている音楽の要素に、気づけばずっぷりと浸かってもう23年も経っているなんて、やれやれと先が思いやられるわけです。こう月日が経っている様子を見るに、盛られた毒にも気付いていないようなので、皿を食らった後のナイフとフォークの行方に戸惑うばかりです。
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