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『青識之論~フェミニストとの対話をめぐる対話』2021-12-16
先日のマガジンで、青識亜論氏のnoteに対し、彼が「たったひとつの冴えたやり方」と呼ぶ「エンカレッジ・カルチャー」について、私は「それがたったひとつのやり方であってはならない」という話をした。
「たったひとつの冴えたやり方」とは彼が文中で使っていたフレーズだが、ツイッターで青識氏から来た反論によると彼は「批判することは否定していない」という。
ヒトシンカさんによる、私のエンカレッジカルチャー論に対する批判noteです(有料)。根本的なところでなにか誤解があるようですが、私は別に炎上を「批判」することを否定しているわけではありません。むしろそれは不可欠な行為です。https://t.co/Djln0Xhu28
— 青識亜論(せいしき・あろん)💉💉 (@BlauerSeelowe) December 12, 2021
結構なことである。
結構すぎて、我々はこの種のフレーズを何百万回も聞いている。フェミニストからも、出来ては消える「インターネットから誹謗中傷をなくす団体」のたぐいからも。戸定梨香さんが動画を削除されたときも、木村花さんが亡くなったときも、呉座勇一先生が職を失ったときも、色んな人が謝罪や削除や辞職に追い込まれるたびに、その追い込んだ側の人々から腐るほど聞かされた。
誰もが、誹謗中傷はいけないという。
誰もが、批判はOKだという。
誰もが、私は批判しただけだ、アイツが失職したのは、あの作品が消えたのは、他の誰かが勝手にやったことだという。
大抵の場合その「正しい批判ならOK」は空手形だ。自分の気に入るものはOK、気に入らないものはアウトだと言っているだけである。
青識亜論氏の場合はどうだろうか。ちょっとそのラインを探ってみよう。
1.青識亜論氏の「ライン」
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