『女性限定の勉強会』2024-09-27
前回のシンカ論マガジンでは、にわかに頻発した「男性からの反差別抗議」に対して、これまでのキャンセルカルチャー批判者(キャンセルしてきた側の言葉で言えば"表現の自由戦士"がその中核となるでしょう)は、どのような線引きを行うべきかということについて、ひとつの指針を示した。
これは、ひとことでいえば「表現の自由戦士」が過去主張してきたこととの矛盾を晒さないためである。
ここでは、キャンセル「される」側が行使している権利が「何の権利」か、言い換えればターゲットの何をしたから抗議しているのかに着目したわけだ。ターゲットの「男性差別」行為が言論・表現であるならキャンセルはノー、単なる経済活動として差別しているなら抗議として正当なものとみなそう――それが前回の結論であった。
ここを守っていれば、「男性差別批判」が「キャンセル反対」と矛盾することは少ないと思われる。
なぜなら日本のいわゆるキャンセルカルチャー批判は実質上、萌え絵に代表される「オタク文化」への攻撃対する防衛論としてなされてきた経緯があるからだ。すくなくとも(特別有名な人の肩書きはともかくとして)人数の上ではそうだった。
またキャンセルする側も「○○を擁護するのはアニメアイコンばかり」といった定番のセリフをはじめ、積極的にそのレッテルを強化してきた。
必然的に、キャンセルの是非はほぼほぼ言論の自由・表現の自由の領域の問題として語られてきたわけである。
今回はそのラインをさらに進めて、今後さらに頻繁に問題となってくるであろう限界事例について検討したい。
男性を排除した「講座」や「勉強会」の類いである。
これらが女性限定であった場合――実際に多々あるわけですが――それは女性限定にする側の自由裁量だろうか。
それとも一見「キャンセルカルチャー」のような集団抗議を仕掛けてでもそれを変更させることは正当なのだろうか。
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