
『公共広告と表現の自由』2023-04-29
前回までで取り上げた男女共同参画局の「性暴力」ポスターについて批判が集まったことに対し、次のような意見が出てきている。
『オタクが盛り上がれる表現』への批判やご意見には一市民によるものにすら「表現の自由」で抵抗しているのに、「お互いの性的同意は大事だよ、な表現」には取り下げ要求までするのすごい https://t.co/dvCb6NWgeC
— 春某髭候 (@shunbousikou) April 15, 2023
これまでに自ら主張して来た「表現の自由」についてのあらゆる理路を自らかなぐり捨てている主張だが、「私に寄せられた多数の問合せ」の中身がつまり「私の戦闘力は53万票」の中身であり、次の当選にも必要な票田と言う事なのだろう。 https://t.co/JdL2h4l6fj
— 田川 滋 TAGAWA Shigeru 타가와 시게루 (@kakitama) April 14, 2023
山田太郎がポスター取り下げろとか言ってんのまじで笑ってしまうんだが…今まで散々公共の場にエロは相応しくないって批判には「表現規制だ!」って言ってきたのに。この人らにとって「表現の自由」=「エロの自由」なんだな https://t.co/ifsXQheUaf
— 宇井彩野🏳️🌈🏳️⚧️ (@niyari_niyari) April 14, 2023
さて、これらに対する回答は、次のような答えがAFEEの炬燵どらごんさんから簡潔に説明されている。
引用が「表現規制だ!」のオンパレードなんだけど、官公庁の広報には民間のような『表現の自由』があるとは言い難く、法律や行政の方針や意図に背いてる表現であれば取り下げたり改められたりする余地があるわけです。
— 炬燵どらごん (@okotatsudoragon) April 13, 2023
ここで炬燵どらごんさんが指摘しているのは、国家は法律や行政の目的を達するために広報活動を行うのであって、その手段の選択に人間の判断が介入するに過ぎないということである。
したがって裁量はあっても表現の自由そのものは観念できない。表現の自由が担保する巨大な価値は人間の「自己実現」であるが、それによって利益を得るはずの個人的人格を国家そのものには設定できないからだ。
平たく言えば、法律や行政の目的にそぐわないポスターを「いいや、俺はこう描きたいんだから、こう描くんだ!」と国家が言う、ということはできないのだ。
ここで喜び勇んで突撃してくるのが、少しだけ、ほんの少しだけ頭が回るらしく「戸定梨香」を掲げてきた連中である。
【官公庁の広報には民間のような『表現の自由』があるとは言い難く】
— 松村正樹🖤DMは開けずに削除してはいよ! (@masakimatsumura) April 14, 2023
これ正しいんだけど、Vtuberの戸定梨香を広報に起用した警察を批判したフェミ議連に対して、お前ら何言ってたっけ?という。 https://t.co/SBblJVHrDa
表自は警察が Vtuber を起用した件への抗議を「表現が燃やされている!」って噴き上がってだろうが。 https://t.co/zZZ31PWFpZ
— 能川元一 (@nogawam) April 14, 2023
それと同じ事を言って、官公庁の広報物の萌え絵表現にクレームを付けて取り下げさせてきた人達がいましたね。 https://t.co/S3ApUtGOEJ pic.twitter.com/TfIaXtcKYm
— 歩野 (@happyluvlife) April 14, 2023
よろしい。
私が相手になろう。
ライター業、連絡はDMでどうぞ。匿名・別名義での依頼も相談に乗ります。 一般コラム・ブログ・映画等レビュー・特撮好き。