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『たったひとつの冴えたやり方?』2021-12-10
表現の自由をメインテーマとする「ネット論客」・青識亜論氏のnoteが話題を呼んでいる。
要するに「フェミニストの放火に対する報復を考えるな!『買って応援』しろ!」というのがその趣旨であり、彼はこの主張をキャンセル・カルチャーになぞらえて「エンカレッジ・カルチャー」と呼んでいる。
私も「買って応援」することの価値を否定するものではない。
実際にフェミが燃やそうとしたコンテンツがじわじわと人気を伸ばし、のちに朗報が流れてきた時にそれをフェミに見せつけるのは、時間こそかかるが非常に快感だ。
「守り切ったのだ」という大きな満足感も得られるだろう。
しかし残念ながら、エンカレッジ・カルチャーは表現規制反対の「たった一つの冴えたやり方」でもなんでもない。
なぜか。
1.好かれるものしか守れない
青識亜論氏がエンカレッジ・カルチャーの成功例として挙げたのは、碧志摩メグ、戸定梨香、温泉むすめ達である。
いずれも地域振興系のキャラクターがフェミニストに言い掛かりをつけられ、公共機関から大なり小なり切り捨てられたが、自主的な活動を続けて成功を収めているというパターンだ。
つまり、エンカレッジ・カルチャーが救い出せるもの、実際に救い出したものは、結局のところ自治体にさえ受け入れられるほど万人に好かれやすいものでしかないということなのだ。
これは表現の自由ではない。
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