(期間限定無料)『胸で脈を取ったのは「セクハラ教師」だったのか』2024-08-29
このニュースがX上で話題になっていた。
一般的な論調としては「これはさすがに」擁護できない、教師はセクハラの言い訳として脈を取ったと言っているだけに違いない――ネットスラングでいう「表現の自由戦士」や「アンチフェミ」(両者は同義ではない)を含めて、この男性教師には厳しい意見がぶつけられている。
実はこうした傾向は珍しくない。
Xのユーザー達は、問題となっている「被疑者」の行動が本当に疑問の余地無く有罪かどうかではなく、主としてレスバ(口論)になった場合に勝てそうかどうかで味方する側を決めているからだ。この被疑者を擁護しても不利そうだと思えば、さも自分は最初からコイツはダメだと思ってます同情の余地なし!というポーズを決め込む者が多い。
特に性犯罪においては、よほど司法の公正に信念のある者を除いては「性犯罪擁護」のレッテルを貼られることを避けたがる。そのため「疑わしきは罰せず」の理想的司法においては疑問点が幾つもある場合であっても、想定されるレスバにおいてはっきりした勝ち筋が見えない限りは被疑者叩きに陥ることが珍しくない。
これは普段いわゆる「司法の女割」(裁判所が女性に対して事実認定においても量刑においても同情的判断を下す傾向)を批判しているアンチフェミにおいても、例外ではないのだ。
本件については、かなり多くのXユーザーが、この報道で被疑者擁護は不利と判断し、叩きに回った。
その理由としては、すでに女性養護教諭が脈拍を確認していたから、というものである。
事実は彼らの言うとおりであるのかもしれず、この男性教員は単にスケベ心から女生徒のおっぱいを触ったのかもしれない。
しかしもうちょっと慎重に見てみよう。
脈の再確認はセクハラ目的か?
なぜその必要があるのか。
単純に記事中で「救急措置が目的だった」と教員が説明しているからだけではない。この記事には女性養護教諭がすでに脈を取っていることを男性教員が知っていたとは一言も書かれていないからだ。
それどころか記事によれば
とある。
もしも、養護教諭が生徒の脈について男性教員に教えていたのなら、その事実は男性教員自身がしらを切ったとしても、その養護教諭本人なり周囲の証言なりから判明するはずである。
しかし京都府教育庁は「生徒の脈に問題がないと知っていたから」ではなく「女性教員に頼めば良かった」からセクハラだと言っているのだ。
ここから分かることは、脈がすでに取られていることを男性教員が知らなかった。あるいは、もし知っていたとしても、脈の再確認の妥当性を否定できなかったということだろう。
ちなみに、急に人に倒れた場合における一次救命措置のことをBLSアセスメントというが、そのさい急患の脈を複数回確認するというのはむしろ推奨されていることである。
呼吸とかAEDとか、一般人には大げさなことも書かれておりそこまでの場合じゃないだろ?と思うかもしれないが、それは事後諸葛亮であって、人が急に倒れるというのは何が原因かすぐには分からないものである。むしろAEDなど、必要ができてから探すよりも、倒れた人を見たら即座に取りに行った方がよい。「ああ、心臓止まってるねー。じゃあ誰かAED探してきて」では患者が死んでしまう。
ちなみに本件の女子高生が倒れた原因が実際なんだったのかは記事にないものの、熱中症である可能性はかなり高いだろう(当日の京都の天気を確認すると、曇天ではあるが最高気温36.7℃であった)。
そして熱中症はしばしば呼吸の異常を伴う。
正常な呼吸でないので脈拍を再確認する、という男性教員の判断がおかしくなかった可能性は高いと考えられる。
そもそも記事冒頭の事実概要も、男性教員の「生徒の脈を取ることが目的だった」という主観について、その主観の存在そのものは肯定している。
つまり、本人が脈を取る気で胸に触ったことは決して否定していないのである。それどころかこの部分は普通に読めば京都府教育委員会の発表を受けての記述である。つまり男性教員の認識が少なくとも主観的には救急目的だったと、教委側も認定している可能性が高い。
なぜ胸を触ったのか
一般的に「脈を取る」といえば連想されるのは手首である。それ以外の方法は知らないという人も多いだろう。
なので胸を触ったという記載に、「セクハラ目的で胸を揉んだのを誤魔化している!」と受け取った者が多かったようだ。
しかし実は脈の取り方というのは手首一択ではない。むしろ意識がないような状態のときには、低血圧に惑わされないように頸動脈で脈拍を計ることが推奨されていたりする。
しかしそれでも胸とは書かれていない。
なぜ男性教員は胸を触ったのだろうか。
少し戻って、先ほどの有明医療センターの熱中症の症状の説明を見てみよう。「軽度」の項にこのような症状がある。
そう、脈が弱くなるのだ。
もし男性教員が、女子生徒の脈を再確認しようとしてその弱くなった脈が分からなかったとすればどうだろう。
最悪の事態を想像し、慌てて心臓の鼓動だけでも確認しようとしたとしても不思議はない。
なぜスカートを持ち上げたか
本件を報じた記事は他にもあり、京都新聞の記事では「スカートの裾持ち上げる」、読売新聞には「スカートまくる」と題されている。
特に読売新聞の書きぶりでは「熱中症ではスカートをまくるように言われた」というのが男性教員のありもしない一方的な抗弁であるかのように感じられる書き方だ。
その影響を受けてか、この行為も明らかなセクハラ目的の証拠であるように、Xでは反応されている。
しかし、実は「熱中症の際に脱衣させる」というのは、おかしなことではない。
それどころか基本的な救護方法のひとつですらあるのだ。熱中症応急処置の解説サイトでも明記されているし、Xでも少数ながら指摘されている。
スカートならばめくるだけで最も手軽に放熱を補助できる。
男性教員は「言われたことがある」としているが、それが教員としての研修時だったのであれば、生徒の半数がスカートを穿いているのだから、直ちにできるやり方として推奨されていても何もおかしくない。
熱中症対処への無理解
このように検討してみると、
・すでに確認されている脈を再確認した
・胸で脈を確認しようとした
・スカートをめくり上げた
といういずれの行為も、セクハラ目的で行ったわけではないという説明がつくものである。
脈を胸で確認した行為だけは正解とは言えないにしても、それでも最悪の事態の可能性に動転して状態で、主観的には救命のためにやったことであろうとも考えられるし、他の2つに至ってはそもそも適切な処置ですらあった。
彼がX上でセクハラ扱いされたのは、前掲のXユーザー瀉血氏が指摘するとおり、熱中症に対する応急処置の知識が一般に普及していない(告発した女生徒も含めて)ことによるものだろう。
これはこれで非常に嘆かわしい。
熱中症ほど行政から注意喚起が繰り返されている病気について、その知識が広まっていないことそのものも、妥当性の有無を調べもしない一般大衆の正義の暴走もである。
しかしそれ以上に問題なのは、京都府教育庁側の決定である。
弁護士ではなく、ここで踏まえるべきは医師の意見であったはずである。
医師からの意見を聴取し、その医師が「意識不明のような緊急時には、脈は2分おきに測り直すのだ」と彼らに教えていたら、男性教員は処分されずに済んだのではないか。
さらに問題が大きいのは「女性教師に頼んでいれば良かった」という判断だ。
まず、その場には脈を取った養護教諭だけでなく、他の女性教員もいなかった可能性が高い。
もし女性教員がいて、なおかつ男性教員の行為が見るからに不適切だったのであれば、この事案はそれを起点として「発覚」しているはずである。
しかし、この話は病院搬送中に意識を取り戻した女生徒が付き添いの別の教員に告げるまで問題となっていなかった。
つまり、京都府教育庁はこう言っているのだ。
「女性が男性の医療行為をセクハラ扱いしたら、他に頼める女性を探して頼まなかったことを理由にセクハラ認定する。たとえ、その時その場には女性がいなかったとしても、探してでも他の女性にやってもらわなければセクハラ」
熱中症患者のスカートを放熱のために上げただけでも、動悸を確認するために胸を触っても、そうなるのである。
これは、男性の緊急時の医療行為における免罪の道を、ほとんど断ち切るという宣言になる。
これまでネット上では、いわゆるAED論争が繰り返されてきた。
男性が女性の胸を出させたり、心臓マッサージをしたりすれば善意であってもセクハラ扱いされかねないという危惧に、女性たちは「考えすぎ」だと嘲笑を持ってしか応えてこなかった。
しかしそれは杞憂でもなんでもなかったのだ。
女性がセクハラだと言い出したら、何かしら理由をつけて有罪にされる。それは非現実的でもなんでもないことだったのである。
おそらく、今までもずっと。
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