(無料記事)『検証・暇空茜:シュナムルさんは本当に在日韓国人だったのか?①』2024-07-03
「岩下の新生姜」で知られる岩下食品社長・岩下和了さんがXに投稿したポストが、フェミ界隈によって炎上させられ、それを上回る支持の声が殺到した。これを書いている時点でも今もおおいに盛り上がっている。
なぜ彼のポストがフェミの不興を買ったのかと言うと、きたる東京都知事選挙で、アンチフェミとして知られるインフルエンサー「ひまそらあかね(暇空茜)」氏を支持することを公表したからである。
社長さんの個人的な支持に対してフェミニスト達は不買運動を煽り、果ては岩下の新生姜を用いた、取引先のたこ焼きさんにまで嫌がらせが届くに至ったという。
もちろん、岩下氏が誰を支持しようがそれは自由というものであり、私もこのような集団的嫌がらせは好まないので、微力ながら一点、「買って応援」させて頂いた。
しかしながら、ひまそらあかね(暇空茜)氏を支持する政治思想と言論の自由を支持し、それらへの抑圧にNOを返すこと。そのことは、暇空茜氏の活動や発言内容が実際に信用に値するか否かとは、まったくもって別の話である。
というのも先日、私は【ネトゲ戦記】脅迫事件についてセンサイクロペディアで記事を書いた。そのときにふと、暇空氏の過去の軌跡を振り返ってみようという気になったのである。
彼がインフルエンサーとして名前を売るきっかけとなった、フェミ系有名アカウント・シュナムル(@chounamoul)氏の個人情報詮索事件からだ。
結論からいうと「彼の発言は信用に値しない」というのが私の感想である。
なぜそう思ったか。
2020年2月12日、暇空氏――当時は「空白」というハンドルネームだったが、便宜上現在の名前で統一する――はこう書き始めた。
弟の姪っ子ならむしろ娘でおかしくないが、後の主張から、言わんとするところは「弟の娘、つまり姪っ子」ということらしい。
まあ多少の日本語のおかしさには目をつぶるとして、果たして、この推測は妥当なのだろうか。
このブログによると、暇空氏がシュナムル氏を嘘つき呼ばわりするきっかけになったのは「韓国について学んできた経歴に齟齬がある」と思ったからである。
具体的には、シュナムル氏の
・韓国映画は、過去20年見てきた
・初めて怪物とか殺人の追憶見た頃は韓国のこと殆ど何も知らなかった(注『殺人の追憶』は2003年、『怪物-漢江の怪物-』は2006年の映画)
・2002年から日韓掲示板で韓国人とは直に話してる
といった発言を指して、辻褄が合っていない、「つまりシュナムルさんは自分の素性について嘘を付く人間であることが確定」と暇空氏は明言している。
しかし、この推論、おかしくないだろうか。
映画は映画であって、何年も見てきたからといって現実のその国を理解できているという意味にはならない。ネットの掲示板だって同じだ。
韓国ではピンと来ないというなら、日本人が米国の映画を見てきた経験に移し替えてみるといい。今40代の平均的日本人であれば、ほとんど誰でも「アメリカ映画を30年以上見てきた」と言えなくもないだろう。
しかし、同じ人が20年前の自分を指して「当時はアメリカのことをほとんど何も知らなかった」と言っても、全然おかしくない。
暇空氏のように「いや!お前はその頃すでに10年以上アメリカ映画を見てきたはずだ!お前は自分の経歴に嘘をついている!」と言われても、難癖としか思えない。むしろそんなことでアメリカ通を気取りだしたらそちらの方が滑稽である。
あなたはどうだろう?
自分がハリウッド映画を何歳ぐらいの頃から見始めたか思い出して、「これだけ長くアメリカの映画を見てきた私は、アメリカそのものにめちゃくちゃ精通しているということだ!」と胸を張って言えるだろうか?
そもそも関連しているはずの知識に触れた年月の長さと、実際に十分な知識を得られたかは別問題である。のちにさらに詳しくなってから未熟な過去を振り返ったのならなおのことだ。
日本で高卒以上の学歴を持っている人なら、中学1年から6年以上、英語を学んでいる。にもかかわらず「英語はぜんぜん分かりません」という自認でいる人なんて幾らでもいるだろう。
それで日本中の「英語が分からないと言ってる人」が全員嘘つきだということになるだろうか。
シュナムル氏が在日韓国人であるという、暇空氏の次なる根拠はこうだ。
シュナムル氏は歴史が好きで、よく昔の話をツイートするのだが「我らの祖先」という言い方が日本人っぽくないというのである。
いや、主観的にもほどがあるのでは?
「祖先」という言葉がちょっと物々しいから普段遣いしないだけのことで、別に民族性の差ではないのではなかろうか……?
というか「昔の人」では「我らの祖先」の代わりに言う言葉になっていない。祖先であろうがなかろうが、古代ギリシア人でもクロマニヨン人でも「昔の人」である。
まあここはいいとしても、次に暇空氏は、シュナムル氏のポストの驚くべき法則性に気づく。
まじか。
シュナムル氏が歴史の話をすることはかなり多い。
その詳しさは私でも舌を巻くほどだ。しかし、韓国の歴史を交えずに日本史に触れたことが無いとは気づかなかった。
本当であれば、単なる「左翼・フェミニストによくある韓国びいき」レベルでは済まない、シュナムル氏と韓国との繋がりを推認させる事実だろう。
本当であれば、だ。
ごらんの通り、事実無根である。
ちなみにシュナムル氏は、日韓のどちらでもない国についても普通に、しかもかなりマニアックな話もしている。筋金入りの歴史好きのようである。
次に「シュナムル氏の娘の正体は姪っ子」説について見ていこう。動画版がコンパクトにまとめられているのでそちらから引用する。
暇空氏のチャンネルの動画によると、この3ポストが、姪についてのシュナムル氏のポストほぼ全部であり、なおかつ娘と姪の絡みは一切ないらしい。「一切」と断言している。
シュナムル氏のポストを「from:@chounamoul 姪 until:2020-02-12 」で検索してみた(2020年2月12日は冒頭の暇空氏がシュナムル氏を詮索し始めたブログの日付。シュナムル氏が「後付け」したポストを抜くために条件を掛けた)。
あのー……
普通にドカドカ出てくるんですが……
別人の姪の話をしているっぽいのを除いても19件。
姪に「大好き」と慕われてる発言が多すぎて、少々おじさんそれ気持ち悪いが、たった3つを指して「これ以外ほぼない」と言われてから出てきていい数ではない。娘と姪の交流場面もちゃんと幾つもある。
以前、堀口英利氏の件についての私見という記事で、私は認知プロファイリングの精度があてにならないという話をした。認知プロファイリングとは暇空氏の推理に彼自身がつけた名前である。
が、どうやら推理どころか、その土台となる「相手が何を書いているか」についてさえしっちゃかめっちゃかであるのなら、もはや暇空茜という”インフルエンサー”、”東京都知事選立候補者”について、いったい何を信じて支持してやればいいのだろうか?
推測どころかその前提すらおかしな「認知プロファイリング」であるが、おかしな推測の例をもっと挙げてみよう。
ここで暇空氏が注目するのは、シュナムル氏が『ごんぎつね』について語ったポストだ。シュナムル氏による元ポスは消えているので、暇空氏による動画版から引用する。
そしてこのように想像を巡らせるのである。
出てくるよ。
なぜなら、ごんぎつねは1980年以降、全ての小4国語教科書に載っているからだ(ソース)。つまりシュナムル氏自身も小学校の頃ごんぎつねで学んだはずで、「教科書掲載作品」としてのごんぎつねを知っている。
そこで娘のプリントに出題されていたら普通に「今でも学校で(つまり教科書で)やるんだな」と思わない方が少数派だろう。
ずいぶん長々と想像を巡らしたものだが、もっとシンプルな想定があるだろう。普通に娘さんが持ってきたのがプリントだったからじゃないの?
暇空氏の動画に映った範囲では、回答には全部マルがついている。満点でもおかしくない。子供がよくできたと得意げに見せてきた小テストを撮った――そう想像する方がよっぽどシンプルで自然ではないか。
「娘のプリントに懐かしのごんぎつねが使われていたので、確認したら教科書からの引用と書いてあった」などといちいち書くことの方がよっぽど不自然である。
そもそも、このプリントがシュナムル氏の目にとまったということ自体、プリントを父親(暇空氏いわく叔父)に見せるのは日常的なことである可能性が高い。娘が高得点のテストを自慢しに来たのとしても、毎回見せるようにしつけているのだとしても。
そうするとシュナムル氏はとっくの昔に「このシリーズのプリントは教科書準拠だ」と知っているのが自然だ。
ちなみに暇空氏の主張によれば、シュナムル氏は弟の家に居候しているだけの独身男性であり、家族からも冷遇を極めているらしい。が、その家族関係は暇空氏の推論の都合しだいで好転し、「この写真は、きっと姪に頼んで送ってもらったのだ!」などと主張することもある。
いやいや。
そんなことが頼める仲なら、教科書ぐらい普通に見せてくれるだろう。なんでプリントを泥棒しなくてはならないのだ。
だいたいポストの要旨は「ごんぎつねは救いが無い話だと思う」である(その内容は多少アレではあるが)。別に写真なんて無くても書ける。みんな知ってる話なのだから。
つまり暇空氏は、必要性のないところでわざわざシュナムル氏を泥棒に仕立てているのだ。彼を貶めたいがために作為的にやったと言われてもしょうがないのではないか。
さて、そろそろ長くなったのでこれ以上は次回に譲るが、私は、ひまそらあかね氏を応援したい人々の政治思想の自由を支持している。その応援を公表する言論の自由もまた、おおいに支持している。
しかし、彼の言っていることがどの程度信頼できるのか、少し考えてみることもまた無駄ではないのではないだろうか。
ここで紹介したのはひまそらあかね氏による「シュナムル研究」のほんの序盤に過ぎない。それだけの範囲にさえ、これほどまでにいい加減な内容が詰まっているのだ。
そのいい加減さが、彼が追及しているColabo問題その他には発揮されるはずがないと思うのは、あまりにおめでたくはないだろうか。
暇空茜――いや、ひまそらあかね氏が主張するフェミニストとの闘いや、公金チューチューへの義憤に共感するのは自由だ。
正直言って、私にもそういう気持ちはある。
しかし、冒頭にも述べた通り、彼の言っていることが「本当に信頼できるか」はまた別問題である。
これまで、いわゆる表現の自由派やアンチフェミ界隈では、嫌われ者のフェミニストが攻撃されることの痛快さからか、暇空氏の推論を深く検証せずに受け入れてしまっていたふしがある。少なくとも一部の人々はそうだ。
しかしそれも行きすぎれば、草津事件の逆バージョンすら引き起こすようなことになりかねない。
そのことを頭に入れておいて、彼の言ったことを振り返って検証してから、あらためて投票なり協力なりをどの程度すべきか考えてみても、バチは当たらないと思うのだが、どうだろうか。
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