『純粋でないフィクションの自由』2024-10-30
前回、「モーニング」誌の『社外取締役 島耕作』に対するクレームについて見ていった。
当然ながら同作はフィクションである。特に、次々と美女と関係を持ち、しかもその女性が偶然にも島耕作が直面した問題について有力な人物であり、彼女の好意で問題が解決する……という初期の作劇スタイルは、中年男性にとってのファンタジーと言ってもよい。ちなみにどこかで聞きかじったところによると、中高年男性が小説の新人賞に応募してくる作品にはけっこうな高確率でそのタイプの話が含まれるのだそうな。
さて、こうした問題のたびに、クレーマー側は「この作品」には純粋なフィクションとは違う「現実との関係」がある!と主張してくる場合がある。
これは彼らがフィクションを攻撃するたび「ワンピースを観たら海賊になるとでも?」などと馬鹿にされているからで、彼らの考える『ワンピースと違う要素』をその作品に見つけ出して、なんとか攻撃を正当化しようと試行錯誤しているのである。
しかし大した思考力がないので、結局のところセーフとアウトの一貫した線引きなどできないでいる。
つまりこういう手合いだ。
Xの方で筆者はこのポストに反証として「悪いことを悪くないことのように描くのはNG」には『走れメロス』を、「差別を当然のことのように描くのはNG」には『十五少年漂流記』をそれぞれ挙げたが、そのへんで耐えきれなくなったのか、この愚か者は筆者をブロックした。
最後の「実在する事柄について嘘を描く」これが今回のテーマである。
この論法がなぜおかしいのか。
それは「実在する事柄について」の内実がいくらでも曲解できるからだ。例示したポストも前回の『島耕作』事件を意識して書かれているのだが、実のところ作中では架空の人物であるヒロインに、誰が日当を支給した設定なのかも書かれてはいない。
仮に実在の人物の名前を登場させて「この人が反対運動の参加者に日当を与えている」と言ったのであればそこでようやく誰かが「名誉棄損を訴える当事者(それが正当であるかは別として)」になりうるが、そんな人はどこにもいない。
ただ辺野古という地名が出てくるだけだ。
それがいけないというのなら、「特定の地名と関連付けている」ということが「実在する事柄について」の十分条件になることになる。
で、これは妥当だろうか。
もし特定の地名を出して関連付けてはならないというのなら、
たとえばSF映画『インディペンデンス・デイ』には「エリア51」にUFOが墜落して宇宙人が回収されたという都市伝説(いわゆるロズウェル事件)が、本当のことだったとされるくだりがある。エリア51は米国ネバダ州の、辺野古同様に実在する米軍基地である。
では『インディペンデンス・デイ』も許されないことになる。
しかし、『島耕作』に抗議する日本の左派たちが、この映画をそのように攻撃したと言う話はまったくない。
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