仕事も、知的障害者と関わることもやめた話
私が仕事を断念したのは7月初旬のことだ。
勤めていたのは知的障害者のための通所施設で、もともと7月末には辞める予定だった。
7月6日の金曜日は遠足だった。
利用者にとってはこの遠足が私と一緒に過ごす最後の行事だ。
いろんな人とツーショットを撮った。後ろ姿をこっそり撮られたこともあった。
「神丘さん、また遊びに来てね」
「また会おうね」
「宿泊行事の時はボランティアさんで来てね」
たくさんの言葉をもらった。力いっぱい抱きしめてくれる人もいた。
その時は私もまた会いたいと思ったし、「また来るね」と約束もした。
行事は無事に終わり、土日を迎えた。
日曜日の夜は「明日からまた仕事かあ」とうんざりした気分でいたけれど、これは誰にでもある感情だと思う。その程度だった。
異変が起きたのは月曜日だった。
身体の不調はない。どこも痛くない。ただ起きられなかった。
つらい気持ちが100トンどかんと乗っかって、私を押しつぶしてしまったようだった。
その日は仕事を休んだ。
パートナーが職場に電話してくれたような気がする。
あれがその日だったのか、それとももっとあとのことだったのかはよく覚えていない。
私はそこからまるまる10日ほども休み続けてしまったので、どれがどの日だったのかわからないのだ。
休んでいても、夜には「明日こそ行かなければ、明日こそ」という思いをきちんと(きちんとってなんだ)持っていた。
そして夜があけるまでろくに眠れず、朝を迎えて死にたくなっての繰り返しだった。
結局、パートナーに付き添ってもらって病院へ行った。
優しい目をした先生は「どうしてもっと早く来なかった」とか、「お前のそれは甘えだ」とか、そんなことは言わず、「これはしばらくかかるでしょうから、まずは焦らないこと」というような話をしながら診断書をくれた。
帰るみちみち、いろんなことを考えた。
私がやるはずだった残務のこと、担当していた利用者のこと。
同僚は今ごろ怒っているだろうか、それとも呆れているだろうか。
上司は失望しているだろうな。
おおよそこんな感じのことだったけれど、職場宛に診断書を郵送したあとに私の胸を占めたのは、
「ああ、これでもう誰にも会わなくてよくなった」
という安堵だった。
この1年ほど、本当は利用者のことなんかほとんど大っ嫌いだった。
利用者を嫌いになってしまった自分のことはもっと嫌いだった。
みぞおちを殴られたり暴言を吐かれたりすることは日常茶飯事だったし、スタッフがやり返せば虐待(正確には傷害罪)にあたるので、私たちが決して反撃しないということをわかったうえで暴力を振るう利用者もいた。
それらは私たちの職場で使っていた言葉を借りれば、ひとえに「障害特性」であり、「我々の支援不足」が引き起こすものだった。
利用者を嫌うのはお門違いだと私だってよくわかっていた。だからこそそんな自分が許せなかった。
「帰れ」「死ね」「ばか」と言われるたびに死ぬ心を自覚しながら、自分を奮い立たせて毅然とした対応をした。できうるかぎりにこにこもした。
「障害特性」だから理解してゆるすのも、「我々の支援不足」だと納得して反省するのも、支援者として当然のことだと心から思っていた。
先輩や上司がやすやすとこなす「適切な支援」をできない自分が嫌いで、情けなくて、
でも私に非はないのに暴言や暴力をぶつけてくる利用者を理解したいという気持ちは日に日に薄れ、仕事をやめる頃には憎んでしまった。
会いたくなくなった。2度と。
私の膨らみきった風船を破裂させた最後のひと吹きは、ある利用者の罵声だった。
「ばーか、泣け泣け、帰ればいいんだよ」
毎日浴びせられてすっかり慣れたつもりでいたけれど、ちっともそんなことはなかった。
金曜日の日中に喰らったダメージは土日のうちにひたひたと這い寄り、月曜日の朝に私を殺した。
そして仕事に行けなくなった。
本当はずっと好きでいたい仕事だった。
利用者さんのこともうんと大事にしたかった。
こんな私を心の底から大好きでいてくれた人が何人もいたことだって知っている。
でもたぶん、私は今後どこでどんな状況で知的障害者と同じ空間に居合わせたとしても、すすんで関わろうとはしないと思う。
自分が優しい人間じゃないことも、もう支援者には戻れないことも、支援者になんか2度となるもんかと思っていることも、この数ヶ月で思い知ったからだ。
がんばったんだよ。28のいい大人が情けないと笑うやつは笑えばいい。
私は自分のキャパシティを超えてがんばっていた。
それを職場の人間には言えなかったし、今なお社会でがんばっている友人たちにももちろん言えなかった。でも、ずっと誰かに言いたかった。
だからこれを書いた。褒めてくれなくたっていい。むしろこんなの読ませて本当にごめん。
でも、ここまで読んでくれた人がもしもいたなら、本当にありがとう。
誰かに知ってもらうことで私は少し救われたと思う。
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