故郷を離れて方舟に乗った日
東京という街で暮らし始めた最初の日のことはよく覚えていない。
代わりに鮮明に覚えているのは、8畳ロフト付きの1Kに住み着いた日のことだ。大学進学のためにうまれ故郷を離れ、群馬のとある街で借りたアパート。大学から2kmほど離れたその部屋は当時のわたしよりもひと回りほど歳上で、窓際に取り付けられたエアコンはガスで動くタイプだった。リモコンは文字が掠れて読めず、そのうえ細く頼りないケーブルでエアコンに繋がれていた。リモートコントロールできないエアコンをうまれて初めて見た。では、これはコントローラと呼ぼうと決めた。
カーテンをつけることも億劫で、大きな窓を開け放ち、夕陽の反射する水田をしばらく眺めてからマカロニグラタンを仕込んだ。祖母の家で見つけた型落ちのオーブントースターでそれを焼きながら、私は古びたアパートの一室をちいさな方舟のように思った。これから始まるキャンパスライフに心踊らせることができるほど、明るい性格ではなかったのだ。自分を知る人が誰もいない土地に行きたかったくせに、いざそこにひとりで残されると心細くて仕方がなかった。
当時はまだLINEの影も形もなく、私は母にメールでグラタンの写真を送った。返信が来るまでのあいだ、ノアが飛ばして戻ってこなかったほうの鳩のことを考えていた。鳩が戻らないことはノアにとって希望だったが、メールが返ってこないことは私にとってとても恐ろしいことだった。無謀にもたったひとりで方舟に乗り込んだ結果、自分だけが人類滅亡から取り残されてしまった。まだまだ思春期を脱していなかった18のこどもはそんな妄想に囚われ、浅い絶望に揺蕩っていた。これはもちろん今となっては笑い話で、30分ほどあとには母からメールどころか着信があった。母はグラタンを褒め、おまえがいなくなった家はしんとしていけない、大人しい子でもいなくなると静かに感じるのだから不思議だと言って笑った。
しばらくとりとめもないことを話して電話を切り、ユニットバスへ向かった。赤青ふたつの蛇口を捻りながら湯温を調整してシャワーを浴びた。便器を横目にお湯を浴びるのも、これまた初めての経験だった。
適当に髪を乾かし、新品のベッドに仰向けに寝転ぶと、ロフトのぶんだけ高い天井が心地よいことに気がついた。やっとひとつ、これから暮らす部屋の好きなところを見つけて安心した。
キャンパスライフへの期待に胸を膨らませるまでには至らなかったが、大学の図書館というのはいったいどんなところだろう、そんなことを考えるゆとりも出て、少しだけどきどきしながら眠りに落ちた。
次の日、部屋を出ると田畑から立ちのぼる土の匂いが懐かしくて涙が出た。人類は滅亡しなかったし、この田畑と故郷の土は繋がっている。鳩は飛ばせなくとも、メールはいつでもどこへでも送ることができる。
私はもう、あのアパートをひとりぼっちの方舟とは思わなかった。
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