久しぶりに読みました。これは小学校の教科書で習ったものです。この時はもう地方に住んでいました。最悪の時期でした。仲のいい友達と別れなぜか都会からの転校生が気に入らない担任に毎日戸惑う日々でした。今日は朝から機嫌が悪いなあ。と思っていると朗読にケチをつけられ、訳の分からない 解説で授業は終わりました。中途半端な所で切れた話に合点がいかず、改めて全部を読むととても良い話でした。田舎も都会も知っている自分にとってすごく共感できる作品です。流石芥川先生と感心してため息をついてしまいま
多分私が生まれた頃から面倒をみていたと思います。でもなぜか父との仲が悪く遠慮がちでした。祖父はもともとかなりの大地主で、裕福だったそうです。都会にでて進学がしたい祖父は先祖から受け継いだ田畑を守らせたい親に負けてしまい、田舎に残ったそうです。そうしているうちに、投資にはまりおよそ10年にわたりほとんどの財産をなくしてしまいました。大きな屋敷は引っ張ってよその物になったそうです。進学校に通っていた長男は学校をやめ妻は心労から父が10歳ころには寝たきりになっていました。当時の生活
なんとジョーカからのバットマンです。ブルース君が気になってひざびさにアメコミを見ました。もうまるで別物です。映像の迫力音楽のすばらしさ、できれば映画館で堪能したかったです。ついでにダークナイトも見ました。洋画はもともと好きだったのですが、最近では邦画ばかりでした。火垂るの墓と、となりのトトロが同時上映だったのを知って少し驚きました。家はテレビだったので、別々に見せました。どちらも良い作品です。 初めて神戸を訪れた時、あの柱を目にしました。あの場所だったんだ。昔から駅はあまり
やっと見る事が出来ました。アメリカの抱えている闇に焦点を当てているなんともやるせない気持ちになりました。これは日本にも当てはまると思います。バブルを経験した身とすれば今も何が正解だったか判りません。特にアーサーの演技が凄いまるで本人であるかのように映りました。何もかも失った彼が変身してダンスを華麗に踊る姿に見とれてしまいます。もともと、苦手なジャンルなので見るのが不安でしたが見て良かったです。何処かに救いがあるような気にさせてくれたのは何だったのでしょうか。でも もう一度見る
小学2年生でとても仲良しの友達が出来た。行き返りも一緒でお互いの家にも遊びに行っていた。彼女の家は一軒家で犬を飼っていた。触りたくてたまらない私は、何度か試しに近づいてみたけどダメだった。手入れのよくされた秋田犬だった。友達にはしっぽを振って甘えるのに、私には歯をむき出して唸るのだ。これ以上は危険と察知してあきらめる。ビルとは大違いだった。これが和犬というものなのだ主人には忠誠を誓う飼い主にとっては最高の相棒だろう。クラスではみんなよくしてくれた。人の事に無頓着だったので密に
焦げた食パンと紅茶が低学年の私の朝ごはんだった。朝が弱いので、あまりたべれなかった。赤いランドセルをしょつてとぼとぼと、歩き出す。通学路にはいわゆるお屋敷街というものがあった。黒塗りの高そうな車に羽箒をかけている若い運転手、誰が乗るんだろう一度も会ったことがなかった。家はみな生垣に囲まれていて、中の様子もわからない。でも何人か同じ学校の生徒がいたので心強かった。鉄の門がある家は樹が生い茂って家が見えないきっと素敵な建物が建っているのだろう、と勝手に想像していた。バラが咲き乱れ
ほんの数年の付き合いしかなかったけど、よく尽くしてくれました。メタリックシルバーのカッコイイ奴でした。子供がまだ幼い時には、いろいろな所へ出かけられ、体の負担もすくなかったです。彼を買う時に何故かボディーの硬さにこだわりました。ベンツぐらい硬いと店の主人は、笑いながら言いそれならと二つ返事で決めました。トヨタの車でした。子供が3歳の時アクシデントにより入院騒ぎになり、母に来てもらう事に一週間ほど滞在してもらいました。何とか無事に退院でき、母もほっとして帰路につきました。珍しく
22歳の時に通いました。会社の帰りに送迎つきでとても快適な時間でした。初めての日食堂にはたくさんのグループがいて一人の私はビビッてしまい、どこで食べようかと考えた果てになんとトイレを選んでしまいました。今でいう便所めしです。買っていたサンドイッチをふたくち程食べたのですが、さすがにいやになり急いで外に出ました。帰りの電車食べることにして回りを散策し始めました。丁度いい柱の陰を見つけそこで食べることにしました。先生以外とはほとんど会話らしいものはありません。年齢も様々変わった空
小学校で一番好きだった。特に写生や空想の絵だ。その話は祖母の寝物語だった。中でもヤマタノオロチの話は何回ねだっただろう。それはおどろおどろしいものだった。八つの頭を持つ巨大な化け物、そうだこれを描こう私の筆はすらすら進んだ。いつもあまり使わない黒を使って鱗も鮮明に描いた。オロチが大きすぎて、ヤマトタケルが小さくなったのが、唯一不満だった。案の定一番目立つ所に飾ってもらった。不思議そうに何人かがみてくれていたのがうれしかった。粘土の日もあったこれはむしろ、苦手だった。いつも思い
東京での初めての遠足は羽田空港だった。駅とは全然違う何とも不思議な空間だった。スーツをおしゃれに着こなした。大人たち、綺麗に着飾ったお姉さん、いろいろ見とれていると、紺の制服の一団がやって来た。スチュワーデスさんだ。当時のあこがれの的だった。そして最後に見たことのないかっこいい帽子を目深にかぶったパイロットたち、あんまりじろじろ見るので少しほほえんでくれた。早く大人になって彼らの操縦する飛行機に乗りたい。大人になりかなり乗る機会があったが、彼らと出会うことはなかった。そして私
大層な題名をつけて焦っています。私は大きな出来事があると、何も考えられなくて困ってしまうのです。新年早々大変な思いをされた方々にお見舞い申し上げます。前回の転校は、大正解でした。私に友情とやる気を教えてくれたかけがえのない学校となりました。アイデンティティの確立にも多分に貢献しています。唯一心残りは卒業したかった。おいおい書くのですが、私の時代は女性にとって選択肢がほとんどなく結婚をするのが当たり前でした。いくら仕事が出来ても管理職は誰もなれません。特殊な技能と資格を持ってい
小学1年の時だった。期待した学校生活は、隣に座る男子のせいで台無しになっていた。何もしていないのにキレて八つ当たりをしてくる、たまりかねて母親に相談したがらちがあかない、等々足をけってきた。もう堪忍袋が破れそうだぅた。今度来たらもいっきりやり返してやろうと思っていた。いつもより早く帰って来た父が一週間後に都会に引っ越すから準備をしなさいと言われた。それからはバタバタの日々だった。祖母の家に行ったり、買い物をしたり、荷物を作ったり、でもうれしかった。新しい生活と友達が待っている
小樽水族館で見れるペンギン達です。もともと好きな鳥でとにかく可愛い、ショーのすべては指導員さんの話術にかかっているといっても過言ではありません。余りのペンギン達の無法ぶりに、思わず吹き出してしまいました。でも中には難しいミッションを見事にクリアする子もいてこれからが楽しみです。中々大変な時代になってきて何も出来ない自分が情けない、でもみんな一生懸命生きている。生きにくい人が一人でも減ることができるといいな。随分前になりますが、周りに話相手がいなくてボランティアでお手伝いをした
私が幼い頃、近くに運送会社がありました。なぜそこに行くようになったかわかりませんが、トラックの運転をしているおじさんと仲良くなっていました。下は危ないので階段を上って指令室でいろいろ話をしてくれました。おじさんは出稼ぎで来ていて同じぐらいの子供がいると、帰りにはいつも、お菓子をくれました。その時はよく門の近くで遊んでいておじさんがトラックでたまに通ると挨拶をしてくれました。今では考えられないぐらい自由に遊べていました。丁度弟が生まれた頃だったので、母はほとんどかまってくれず寂
映画のレオンからのファンになってしまった。今更なのだけれどなんだか心にしみる。なんでこんなに切なくなるのだろうか、混沌としたニュースにくじけて何も出来なくなる。若い時は何も考えてなかった、自分のことで精いっぱいだった。私には小学校が3校、中学校も3校ある。最近終わった最高の教師を見て毎回もつれた糸をほどくような演出にドキドキした。長い学校生活の中で2人の最高の教師がいた、多い方なのかよくわからない。一人目はいじめを一瞬で終わらせた女性教師、もう一人は戦争の悲惨さを惜しげもなく
今はシャインマスカットが流行のようですが、子供の頃に父の知り合いの人のスナックで出されたぶどうです。カウンター席で落ち着いた感じのいいおみせでした。ママさんは年配の普通の人で言われなければ、主婦に見えました。多分一人でよく通っていたのだと思います。その時は母も一緒でした。初めて見た大きなぶどうを私が夢中で食べていると、もう帰るぞと言われてえっとなっていると、早くとせかされ泣く泣く5粒ほど残して帰りました。その後ざわざわとお客さんが入ってきました。全然お酒が飲めない私にスナック