あーでもない、こうでもない日々
親はとにかく、子供の為を思い悩み迷う
それが子供の為になってるのか?
今していることは、なにかに繋がってるの?
確信もなにもなく、いったりきたり。
前進したと思った次の日、大きく後退して、また悩みだす。そうかと思えば、急に軽々と乗り越える瞬間がきたりする。
永遠に続く一本道だと思っていた
その道には 曲がり角があった。
その曲がり角を曲がると、目の前には
全く違う景色が広がっていた。
私たちは、その曲がり角があると信じている
だから、あきらめられないんだ 子育ても、人生も。
ドラマ 放課後カルテ#8「声が出せない1年生」をみて、ふとそんなことをおもった。
小学校でのみ声が出せなくなる場面緘黙と診断された子供の成長を描いていて、いつ治るかわからない親の焦りと子を思う気持ちに胸が締め付けられた。
子供は、親が思っている以上に
強い生きる力をもっている
私たちはその子供の力を守ること
ただそれだけでいい
それが、本人の大きな大きな力になる
大学生の娘が、昨日は沈んだ顔して帰ってきた
部活でなにか、あったのだ
カラコンも化粧も落とさずに、こたつで朝まで爆睡
今日も部活だ 憂鬱そうに起き出し、目が虚ろ
私は、気にするそぶりを(なるべく)見せず
娘の好きな食べ物を目の前に並べてみた
(たこやきとファミマの鶏つくねを奮発)
できることは ただそれだけだった
今晩、いつも通りの娘が帰ってきた
無事に帰還 おつかれさま
(今晩は、カラコンも化粧も落としてください)