いつまでもリマインドされる天津木村。
「あると思います」は、敬語を使う間柄の人との会話では普通によく使う言葉だが、発した途端にほぼ毎回天津木村を思い出す。
これは私だけか?と思いきや、この前好きな芸能人のラジオでも、その人が「あると思います」と言ったあとに、「あっ、あると思いますってね…笑」みたいに反応してた。
ある程度の年代の人間にはほぼ通じるであろう、この「あると思います」ノリ。正直言えば面白くはないし、8.6秒バズーカーとかクマムシのような社会現象を起こしたわけでもない。
それでも静かに、我々の心の中に残り続ける天津木村。
当時小学生だった私には伝わりきれない下ネタに、舞台に毅然と立つ着物姿、少しの捻りもない「あると思います!!」の大声。
何なんだ、天津木村。
なぜ我々はいつまでも彼を想起してしまうのか。
長く生き残るギャグは、ゲッツやヒロシですとか他にも色々あるが、これほどナチュラルに人々の生活に潜んでいるものはないんじゃないだろうか。
日本人が「あると思います」で天津木村を思い出さなくなる瞬間を見届けたい。
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