助けるよって簡単に言うな。けど言ってほしい。
『辛い時はいつでも相談してね』という言葉は少々無責任で、薄さを感じる。
悪者にしたいわけではない。
この言葉のおかげで、頼っていいんだ。独りじゃないんだ。と温かさや強さを与えてくれる。
しかし、
本当に辛い時に、助けてと手をあげるのは難易度が高いのではないだろうか。
危機的場面に直面したとき体が動かなくなるように。
心の危機的場面に直面した時も同じ。
心の専門家といわれる〇〇士は、クライエントは向こうからくるものだと能動的な考えの人もいるらしいが、カウンセリングに行きずらいから死を選ぶまで1人で苦しんでいる人が沢山いるのが事実だ。
だからこそ、無資格であるが積極的に活動する〇〇カウンセラーに人が集まるのも無理はない。
苦しい時は1人になりたがる。
ポジティブな言葉や人でさえ、鼻につくと感じることだってある。
ましてやコロナ禍で強制的に1人になる事が増える中、病むことの強敵である孤独感はさらに増す。
だからこそ、メンタルの方は大丈夫?となげかけてあげるのは推奨されるべきだ。
だが注意しておきたい事もある。
心というセンシティブなものにずかずか踏み込むことは決して良いとはいえない。
カウンセリングという曖昧な表現でテキトーに話を聞きアドバイスをし多額の請求をする。
これはもう人として終わっている。
まぁこのような人は何年後かにとんでもない罰が与えられるであろう。
それは置いておいて
かといって、辛い時は来てねというように全ての行動を任せるのも一定層には酷だ。
自分はこう考える。
辛い時こそ、人の表情や声色、仕草に敏感になる。
"ちょっとしたこと"といわれる事でさえ傷ついたり不信に感じたりするもの。
だから大切なことは、まず側にいてあげること。
ちゃんと話を聴いてあげること。
勝手に自分の世界の定規で測らないこと。
言った事に責任をもつこと。
裏切らないこと。などなど。
元気にしてあげよう。何かしてあげよう。治してあげよう。
そういう姿勢も大切だが、手を差し伸べることを行うなら最低限これらは守らなくちゃいけないんじゃないかと思う。
賞賛されたいがために行うならやめたほうがいい。
本当に守りたい。そう思って十分な責任をもって積極的に互いが心の部分を支え合う。
そんな温かい世の中になってほしい。