錯覚

暑い空気,曇り空の午後。

私は,なじみのない大きな公園を当てもなく散歩する。


そこには,蛇行しながら走るおじちゃん自転車。お盆休みで子どもとボールを蹴りあうお父さん。手をつないで歩く親子。スマホ片手の大学生。学校終わりであろう中学生。ベンチで語り合うおばあちゃんたち。



公園のなかを散歩するだけで,人生の縮図を見ているようだった。


小学生の頃は,中学生が大人に見え

中学生の頃は,高校生が大人に見え

高校生の時は,大学生が大人に見え

大学生の今,社会人が「大人」に見える。


こうなると,社会人になるとお年寄りが「大人」に見えるのだろうか。


これは,一種の錯覚。

どのステージに立っていたって,一歩先を行く存在はいつだって「大人」でそのステージに立ってしまえば案外そんなこともないのだと気づかされる。


だから,「大人」とは一種の錯覚なのだ。

読んでくださり,ありがとうございます。