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kusaru

競争に興味がない。競争するのであれば、過去の自分で、文章であれば極力過去に使用した表現は使用せずに、「創らない」の繰り返しから、どこかしら腐らないようにする。

腐るのは「自分」。自分の方法で自分を研ぎ、その上楽しく、疲れれば何がなんでも休んでペースすら崩れないような自己中心的さに軸を置く。

最大の敵は羞恥心だろうな。自分の行動が恥ずかしいと思ってしまえばすぐに常識化してしまう。批判や嫌悪を避けるための防衛だけれど、結局自分は少しつづ地中に埋まってしまい誰の目にも止まらなくなる。つまり誰にも何も言われたく無いという気持ちも「自分」が腐る。

俺を嫌いな人がいるのは、いつでもどこでも当然のことだと決めてしまう。そして嫌われている上で関係を続ける必要がある場合には、考えず、目を合わせず適当に笑顔でいればいい。攻撃的なことはこちらから絶対に行わないことが重要で、逆に、それさえしてなければ全てのコミュニケーションはどうにかなってしまう。どうにかなってしまうことを覚えれば批判と嫌悪は少しどうでも良くなる。

「自分の」良い文章のためには積極的に「自分」を生活全てに表現することが必要で、最近は普段からそうしてきて、自分の書いた表現もより好きにもなっている。繕う必要のない素直さは自分を好きにさせて、自分が作ったものは当然好きになる。

自分を好きになる、そのものが趣味になって、今後は生業にもする。いつまで経っても自分が腐らないでいればいづれそうなる。好きな文章で食えている俺になる。

ところで、文章で食えている人に、本をだすか、記事を書くことぐらいしか知らなくて、どちらもあまり興味がなく、食える道ですら自分で作ってしまえばいいんじゃないかと考えている。前に習う必要ないし、ネットがあればどうにか成るような気がしているのは歳の割におかしいのか。自分の表現が自然とそれを作ってくれるはずだから、平気で今日も自分を生きる。思いつきで自分の言葉を飾るカフェでも作って快楽か呪いを生む建物でも作ってしまえばいい気がしている。まあでも、金を生む仕組みは極力考えないようにしておきたい。これも腐る。

最近はもっと醜態が必要な気がしている。吐かれるぐらいの俺の醜態がより自分を深く表現させてくれる気がして、思いついたことは全て行っていく覚悟を持てればいいな。法に触れなくて、誰かをあからさまに傷つけないならいいし、気分は良い。

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hitoridebun
精進します。