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hinekure
理由はよく分からないけれど「考えることも、発する言葉もなるべくポジティブがいい」って思ってたのよ。肯定的である方が周りに敵も作りにくいから生活も楽になるはずだとして考え、発言する度に注意して誰かのいる雰囲気も悪くならぬよう一応努めていた。
当たり障りのない明るい交流はもちろん敵を減らして「良い人ですよね」程度の人気者になった。どう考えているかでなく何を喋るかが重要で本音は無視して口を教科書通りにうごせば社会は渡り歩けることを知って得意げにもなった。ただ根暗やネチネチしたネガティブ体質って一つの個性だったから修正して明るくなった状態はいわゆる「普通」で特徴のない自分は正直つまらなかった。暗いままでも明るさとは違う視点があって、常に明るくしておくのも真反対のベクトルだから大変疲れて、「自分を明るく作戦」は早々にやめてしまった。
明るい側はやめてまた否定的なことを言い始めたものだから、人脈はガリガリに痩せ細り再び一人で始めている。だけれど今回は寂しいという気持ちはなくなって関係が少ない生活は自由の感覚が勝る。そして、暗いも明るいも、ネガティブもポジティブも善悪で判断することの無駄さ加減が半端ないということが分かったので生活は良しとしている
SNSで「目立つ人」を見る。フォロワーとして付き従う人も多いからその人の外見、性格が正解として真似すべきだとも思ってしまう。今はSNSが普及してテレビや本などの既存のインフラに頼らなくとも自由にそれぞれ表現できると。でも結局インフルエンサーなる人が煽動して善悪を決めている。
「こうすべき!」という意見は本当によく見るようになった。これは画一的な行動を求めていた昔の不自由さと変わらず、それぞれが自己中心的に「こうすべき!」と言っている。皆違って皆いいじゃなかったの。
そもそもインフルエンサーって何者ですか。その界隈の有名人で何かを斡旋するというイメージですが間違いなかったでしょうか。慕う人が多いのは結構なことですが逮捕される人がいるのはどういった了見ですか。ところで俺はインフルエンサーに嫉妬でもしているのか。
俺は捻くれているから胡散臭いものはとにかく蓋をしておきたいし、誰の言うことを聞きたいとも思わなくなったのでやるべきことは自分で調べさせて欲しい。今自分にできることを思う存分。性格はモロ出しで。これ以上に楽しいことはないって気づいたんだよ今しがた。
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