annindoufu
知人の家で「杏仁豆腐吐作るの上手らしいね。」と言われて久しぶりに驚いた顔になった。
料理はろくにせず、お菓子作りなんて全く興味も無い俺がなぜ杏仁豆腐名人になっていたのか分からないが、今になって思えば「作れませんが、作ってみます」と言えばよかったと後悔している。きっとこういうしょうもない誤解も何かのきっかけでもしかしたら杏仁豆腐作りの才能に目覚めていたかもしれない。無いか。
杏仁豆腐の作り方が気になって一応調べてみた。意外と簡単に作れそうで試しに相方にでも作ってみようかと思ったが、クコの実とアーモンドエッセンスの買い方を俺は知らない。塩胡椒、しょうゆ、酢、酒、みりんしか買ったことは無いから杏仁豆腐は諦めようと思う。
せめて「文書くの上手らしいね。」と言って欲しかった。文は毎日書くほど好きなことはあまり人には言ってはいなが、触ってもいない杏仁豆腐が聞かれるなら実際に行っている文章でもいいじゃないか。それが人生か。それでも一人ぐらいそう言ってくれてもいいんじゃないか。
結局今日も杏仁豆腐でなく文章を作る。書いていて楽しいので問題ないが、一度くらい作って見てもよかったのかもしれない。日頃、カレーか野菜炒めぐらいしか作らない俺にしてみれば冒険で良いネタになっていたかもしれない。だからダメなんだ、同じようなこと毎日やって新しいことに挑戦しない自分が情けない。ところでなぜ俺は杏仁豆腐で自己否定をしているんだ。
杏仁豆腐のことは忘れようと思う。これ以上自分が杏仁豆腐の名人になれたかもしれないなんて考えても仕方がないし、材料を買うのも作るのも面倒だ。というか知人はでっかいタッパーを用意して作って欲しいと言っていたがどれだけ作らせたいんだ。「カレーなら作れますよ」とは言っておいたが全く相手にされなかった。