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典礼(リトルジー)――復活の主を待ち望む こころの聖域


ギリシア正教会の主日礼拝は早朝7時に始まる。

(7時から8時過ぎまでが主イエス・キリストの復活に焦点をあてた朝課Matin。その後8時過ぎから10時過ぎまでの二時間、Divine Liturgyといわれるメインの礼拝が行われる。)


私は朝課がはじまる前のしーんとしずまりかえった聖堂をこよなく愛している。

日の出前の暗い聖堂には、純粋なオリーブ油に芯を浸した蝋燭がゆらゆら揺らめいている。

信者席にぽつぽつと人の姿がみえる。誰もが沈黙のうちにこれから行われる神への礼拝路に向け心を整えている。

人生のおける哀しみ、重荷、涙、呻き――。
それらすべてをひっさげ、
がむしゃらに 全力で 神にすがりついていく。

わが魂の向かうべきところ、
それはただ汝なのですと。


聖なる典礼(リトルジー)は〈今・ここに〉という現存でありながら、それと同時に時空を超えた永遠にもつながっている。

だから、二千年前の主日の朝のイエスの復活は、過去の一点における歴史的事実であると同時に、典礼の中で個人的にそして共同体的に経験される内的リアリティーでもあるのだ。


光、そして光。


ヘルヴィムの歌」はDivine Liturgyの大聖入(The Great entrance)の際に歌われる。ギリシア語ではΧερουβικός Ύμνος.


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