
優しさのかたち――「木まぶり」のお話を読んで
昭和4年生まれの小学校の元校長先生が、自分の生まれ育った東北の村のことを懐かしく追憶したお話を読みました。

若戸だいご著『心に残るとっておきの話 第七十四話 木まぶり』(電子書籍 無料)
北上山地の山懐に抱かれた小さな寒村。村の生活はほとんど自給自足でした。豊かではなかったけれども、「結い」という江戸時代からの強い絆があり、村人たちは互いによく助け合い、夜も序の口(玄関)に鍵などかける必要のない、おだやかな暮らしの村だったそうです。
そしてどの家にも亭々とそびえ立つ大きな柿の木が五、六本はありました。
土手にふきのとうが吹きだす頃、村の子どもたちは水を入れた手桶やお米を入れた巾着袋(「おはねいり」)を持ち、鉈を持った高等科の兄ちゃんを先頭に、隣近所の柿の木の所へ行きます。「今年も豊かに実がなりますように」という祈願をするためです。

収穫の作業も子どもたちが担っていました。子どもたちが出かけようとすると、どの家でも祖父や父たちが「子どもたち、木まぶりを残しなさい」と注意するのでした。
木まぶりとは木守り(きもり)のことで、実を全部穫らずに残した柿の実のことを言うそうです。この寒村では、高い梢の実を二十個くらい、中ほどに二十個くらい、道にとび出している枝の柿の実をそのまま木に残しながら収穫しました。
高等科の兄ちゃんが木に登り、叩いて実を落とします。小学生はそれを竹で編んだ畚(ふご)に入れ、家の縁側まで運びます。するとお年寄りたちが柿の皮を剥いて、干柿作りを始めるのです。村挙げての一大行事です。

やがて北国から渡り鳥たちが戻ってきます。
長旅に疲れ、お腹をすかせた鳥さんたちは、高い梢で赤く色づいている柿の実(木まぶり)で腹ごしらえをし、それから元気に南の国へ旅立っていきます。
「元気で行きなよ。」
寒い朝、渡り鳥たちにそう言ってやさしく声をかける婆ちゃんの姿が、五十年の歳月を経た今も著者の瞼に焼きついているそうです。
「渡り鳥や旅人のために木まぶりを残すことを教えてくれた、遠い祖先の心温まる智恵を、今、私はとてもすばらしい心の遺産と思えてなりません・・私の追憶の中にある貧しくとも清く美しく助け合い生き抜く、そして渡り鳥にも心を分けた少年の心を懐かしく思い出すのです。」
私はこのお話を読んで、旧約聖書の次の箇所を思い出しました。
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。

もし余剰がでたら貧しい人や外国人のために恵んであげる、というのではなく、初めから「これは彼らの分である」と確保しておくのです。「木まぶりを残しておきなさい」と村の爺ちゃんや父ちゃんたちが子どもたちに語り聞かせていたあの思いやり、優しさと重なります。
現代の私たちにとっての「木まぶり」は何だろうと思いを巡らせています。