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着物の「福音宣教パワー」は絶大!
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なんとかしてイエス様の愛をみなに知ってほしい
だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
日常着として日本の伝統衣服である着物を着始めて二年三か月です。きものとはまったく無縁の人生を送っていた自分が、ある日突然、「よし、着物を着よう」と決心したのは、イエス様への愛ゆえでした。
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私の心の中にも、他の兄弟姉妹のみなさんと同様、「なんとかしてイエス様の愛をみなに知ってほしい」という燃えたぎる思いがあります。
そういう祈りと共に私の着物路は はじまりました。
私がファッションや礼装としてではなく、生活着としての普段きものに注目したのは、「キリスト信仰に対する、家族や故郷の人々のつまずきを取り除くには、まず自分自身が変わらなければならない」と自覚したからです。
「和」の象徴であり、日本文化の精神的象徴である着物を私の生活の中に沁み込ませ、漬物のようにその中にどっぷり浸かる中で、なにかが変わってくるのではないかと思ったのです。
そして・・・その結果、驚くべきことが起こり始めました。
私は着物に、こんな福音宣教パワーが秘められているなんて知らなかったのです。
効用1. 日本人(ノンクリスチャン)の方々との距離が縮まった。
〇 里帰りした時に街を歩いていると、いろいろな方に「あら着物、いいわねえ。」と話しかけてもらえるようになった。そこから会話がはじまる。
〇 祖母や親戚や知り合いの方々のお下がり着物をありがたく着させていただくことで、先代の方々を可視的に敬う機会が与えられるようになった。
→「クリスチャンであるあの子はお線香を上げたりお仏壇に手を合わせたりはしてくれないけど、亡くなった私の母の形見の着物を大切に着てくれている。」という風に、
形見の着物を着ることが、実質、クリスチャン版「先祖への供養」となってくれている。
〇 日本の伝統文化や慣習を大切にしている父が大変喜んでくれている。(「一皮むけた」と褒めてくれた。)
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効用 2. いろんな人が日本宣教に興味を持ち、祈ってくれるようになる
着物クリスチャンは生ける「宣教バナー」
各国のクリスチャンが一堂に会する宣教会議やコンフェレンスの席では、日本からの参加者は、人々の目に「宣教の困難な日本における神様の働きの実」を表す生きた証として尊重されます。
日本人クリスチャンが着物を着てそのような場に臨むと、その「生きた証」が100倍以上の視覚効果をもって周囲に宣教アピールするようになります。
教会の内外で時々、じーっと誰かに凝視されているのを感じることがあります。それで、そちらの方を向くと、敬虔な信者が(好奇心ではない、深い祈りの目で)じっと私を見つめています。こういう方々はおそらく心の中で次のようなことを考えておられるのだと思います。
「日の出ずる国ジパング、サムライ、キモノ――。かの国にもキリストを信じる者が興されているのだ。ハレルヤ。日本には今、教会はどれくらいあるのだろう。宣教師はどれくらいいるのだろうか。台湾や韓国での宣教の働きについて聞いたことはあるけど、日本のことは未だ聞いたことがない。家に帰って日本のことを少し調べてみよう。」等。
効用3. アニメ世代との接点
また洋服を着ていると、こちらの人は、私が中国人なのか、フィリピン人なのか、韓国人なのか、日本人なのか、てんで区別がつかないそうです。しかしひとたび着物で登場すると、一発でJAPANと特定されますので、アニメや日本文化ファンの若者たちが駆け寄ってきます。
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彼らは「ナルトの一楽ラーメン」や「ワンピース」のキャラつき服をわざわざ私に見せに来てくれます。
↑ アニメ「キャンディ・キャンディ」の主題歌(ギリシア語版)
日本のアニメを見ながら育ったこういう新世代の教会ユースは、「キリスト教信仰」と、「日本のアニメ」という二つが通常、互いに無関係に自分の中に併存しているとききます。
そういう彼らにとって、ビジュアルとしての「着物クリスチャン」というのは、アニメやおとぎ話の世界からひょっこり出てきて、21世紀の現代教会に突如 姿を現した――、そんな夢のある存在だということです。
効用 4. 東洋の諸宗教に関心のある欧米若者たちへの「福音メッセージ」
ドイツ生まれの曹洞宗の僧侶であるネルケ無方老師が自伝の中で書いておられるように、キリスト教の形骸化・世俗化が進む欧米において、教会に見切りをつけ、東洋諸宗教の中に真理を求めようとする若者が急増しています。
仏教の尼僧に話しかけられる
少し前のことです。夕拝が終わり、聖堂の前で主人を待っていたところ、「あら、着物。日本人の方ですね。こんにちは。」と突然、日本語で声を掛けられました。
見ると、法衣を着た日本人尼僧と彼女の付き人らしい若いギリシア人女性がにこやかに立っていました。この尼僧の方はフランスにある仏教寺院で欧米の若者たちの霊性指導にあたっており、時々、巡回ミッショナリーとしてギリシアやその他の諸国の仏教コミュニティーで各種セミナーを開いておられるとのことでした。
お二人はキモノ女性がなぜ教会の前に立っているのか不思議に思ったようです。そこで私は、自分がどのような経緯でイエス・キリストを救い主として信じるに至ったかをお話しました。
お二人は熱心に耳を傾けておられました。このような稀有な分かち合いの時が与えられたのはひとえに、私が民族衣装に身を包み、教会の前に立っていたからです。着物を通して新しい福音宣教の門が開かれていくのを感じました。
着物は簡単、着物は楽しい!
私はYoutubeのチュートリアル動画で着付けを学びました。Youtube先生たちの解説がめちゃめちゃ丁寧で分かりやすいので、まったくの初心者であっても一週間あれば一通り着られるようになります。
(帯の前結びなら木下紅子先生のチャンネル。後ろ結びならすなお先生のチャンネルがおすすめです。それからコーデは「うるぽろ」さんのチャンネル。)
「着物はむずかしい」と思っている方、どうか聞いてください。単なる衣服としての着物は むずかしくありません。むずかしいはずがないのです。だって戦中までは日本人の誰もが着物でフツーに生活していたのですから。しかも とびっきり美しく、からだと心にやさしい衣服。冷え性や腰痛から女性を守ってくれる健康衣服。
千利休がお茶を淹れるのも、私が急須でお茶を淹れるのも、どちらも行為としては同じです。前者は芸術として最高の域に達した茶人としての「お茶淹れ」であり、後者は一般民衆の台所での「お茶淹れ」です。着物の着付けも同じで、そこには極めようと思えばいくらでも極めることのできる奥深い美の世界があります。でも一般人が生活の中で着る日常着としてのきものにもまた、別の種類の素朴な美しさがあると思います。民藝運動の父、柳宗悦のいう、生活に根差した「用」の美です。
また、「着物は高くて手が出せない」という時代も終わりました。今ではメルカリやネットショップで良質の中古着物が千円以下で買えます。また、日本中の家の箪笥には無数の着物がただただ眠っています。
私たちが着物を着始めると、そういった着物たちがどこからともなくどんどんあなたの元に集まってくるようになります。
私は看護大の学部長をしておられる加納塩梅さんの「きもの収納術」を模倣することによって、本当に着物がユニクロのように気軽に取り出せる日常のアイテムになりました。
そうなんです、「着物はたとう紙につつんで、桐ダンスにしまう。」という従来の「しまい込む」形の 横方向の収納ではなく、「すべらないスラックスハンガー」にササっとかけて、洋服と共にクローゼットに収納する縦型収納です。
私が思うに、着物を着るのがおっくうになる原因の一つは、着物の出し入れの煩雑さにあると思います。加納式ハンガー収納術はそこに革命をもたらしているのです。
このようにして私は、朝起きて、クローゼットを開け、その日着たい着物をただスラックスハンガーから取り出すだけで、着る準備が整うのです。私の場合は、その後、その日のオーディオ聖書箇所を聴きながら、デボーショナルに着物を着るのが日課です。♡
Kimono for Jesus, Japan for Jesus!
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夕べの捧げ物のように、わたしの手を上げさせてください。
詩篇141篇22節
いろいろな方がさまざまな方法でキリストの福音を宣べ伝え、神の栄光を表そうとしています。私は最近、ある日本人伝道者の方がYoutubeやSNSを駆使したミニストリーを通し、年間約五百人以上の日本人の方々から個人的連絡をもらっていると聞いて驚き、感動しました。(その多くがノン・クリスチャンの方々だそうです。)
この方は、教会に人が来るのを待つ、という従来の伝道方法ではなく、メディアを善用し、むしろこちらからあなたの所に喜んで出かけていきます、という発想の転換をすることによって、教会に敷居の高さを感じている求道者の方々にイエス様の愛を届けています。Youtube for Jesus, SNS for Jesus!です。
そして私は、この世界の片隅から、Kimono for Jesus! と叫びたい。
神様、どうか私たち日本人を憐れんでください。与えられているすべてを用いて私たちはあなたがまことの神であり、癒しの神であることをこの世界に証したいのです。そしてイエス様の愛を知らない99%の同胞に福音の良き知らせを届けたいと願っています。
民族衣装が今でも日常着として存続している日本という国に生まれたことを感謝します。そして着物が KIMONOとして日本文化を象徴するシンボルになったことを感謝します。幽玄にしていとも美しきこのシンボルに油を注ぎ、贖い、あなたの神の国に多くの魂を導き入れてください。