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STORM 7

butterflyeffect 7


 ケルベラの皮のブーツが硬い雪を踏む音がする。

一晩中降り続いた雪が全てを白く包んでしまうコヌヒーの冬だ。

朝から雪かきに追われて、アジト周辺の哨戒偵察に行けたのは、日も暮れた頃、また降り出した雪にうんざりしながら僕は高い空を見上げる。

コヌヒーの冬はいつもどんより曇っていて薄暗い。

前を行くのはヨーセフ、僕とルルワの婚姻を指揮してくれた、反乱軍の隊長。

でも最近は少し、立場が弱い。

導師アースィムに逆らったかららしい。

僕とルルワの婚姻も、本来は導師アースィムの祝福と赦しがなければ行えない。

僕はそれをヨーセフに言ったけれど、彼は微笑んで答えた。

「俺も導師だ」と。

 ヨーセフは隊長格から僕ら新人部隊の教官へと格下げされた。

大きかった彼の部屋は、慰安婦部屋の隣になった。

それでも彼は姦淫を行わなかった。

僕の見ている前では行わなかったと思う。

彼はよく言っていた。

「俺は戦争を止めたいんだ」と。

 僕達新人兵の射撃訓練を行いながら彼は何度もそう口にした。

戦争は愚かだ、戦争は無意味だ。

でも僕は今こうやって銃を持って戦う訓練をしているし、人を投げ飛ばす訓練も、人を殴り飛ばす訓練も受けている。

拳が腫れた日もあったし、殴られた頬が痛んで寝れない日もあった。

それでもどうにか生きれているのは、アジトに帰れば慰安婦達の警護を任されているルルワと会えた為だ、最近は少し彼女の笑顔も減っている。

ルルワを守る為に僕は強くなければならない。

きっと、ヨーセフより、指導者アースィムよりも強くあらねばならない。

はやる気持ちが僕を戦場へ向かせた。何人かの人の、命を奪った。

 深く銃を構えて相手の頭に向けて引き金を引く。

肩と腕を押し返す反動の向こうで、人が仰け反って倒れる。

僕の指は震え、喉は渇き、心臓が痛くなる。

段々とそれにも慣れて、僕はなんだか強くなったような気がしていた。

ルルワを守る逞しい男になれているんじゃないかって。

そんな僕にヨーセフは言うんだ、戦争は間違っている、戦争は何も生み出さない。

彼の大きな背中をじっとりと見上げながら、僕は聞いた。

じゃあなんで僕らは戦争をしてるの?

「イムワットの所為だ」

 答えに僕は憤った。

イムワットは神様だ、神様は何も悪くない。

「イムワットは何も悪くない。だが神でもない。イムワットは砂漠に住む害獣なだけだ。だが、奴らが死んだ後に遺されるもの。それが欲しくて俺達は戦争をさせられている」

 僕はイムワットが死んだ後の事なんて考えたことがなかった。

イムワットは永遠でずっと僕たちを守るものだと思っていたから。

「イムワットは害獣だ。このコヌヒー周辺で確認される、サンドワームの一種。寿命は最長で三百年、太さは五メートル、体長は十メートルを超えるものがほとんどだ」

 足を止めたのは、そこが母さんの死んだ場所だったから。

この崖から母さんは突き落とされて、乾いた大きな破裂音を響かせて死んでしまった。

目を映せば、僕が初めてイムワットを見たあの砂丘が見える。

それも今は真っ白な雪に覆われているだろう。

「………ここで母さんが死んだんだ。ハーディに殺された」

 ヨーセフの大きな体が遠くの砂丘に向けられている。

そうか、と呟いた彼のコートが翻って進み始めた。

すっきりとしたデザインのとてもお洒落な服だった。

こんなお洒落な服を着ている人は、反乱軍に誰もいない。

「イムワットが死んだ後、その外殻はオリハルコン、ヒヒイロカネ、ミスリルに次ぐ硬度を誇る鉱石になる。コヌヒーの家は頑丈だろう?レンガやそのつなぎにワームサンドを混ぜ込んであるからだ。そして体液はブラックオイルという、油に変わる」

 ヨーセフの大きな背中が少し沈んでいるように見えた。

「ブラックオイルは様々な用途に使われる。燃料にもなれば魔法の触媒にも使われる。とても重要で、貴重な資源だ」

 父さんのことを思い出した。

アーシファはイムワットを殺している。

父さんは正しかったんだ、とその時わかった。

でも僕にはわからない。

何故イムワットを殺さなければならないのか。

僕は父さんとあの果樹園で暮らしているだけで満足だった。

なんでそれで満足できないのだろう。

「………どうしてみんな満足できないんだろう………」

 驚いたようにヨーセフが僕を振り返った。

そして目を伏せて何も言わずに前を向いた。

歩くスピードは落ちなかった。

「………ブラックオイルがほしいランドマリーという国、ウルタニアという国のスパイが、コヌヒーに大量に入ってきている。ハーディもその一人だった。国を分断し、国力を削ぎ、内戦を起こし、より安価に、より効率的に、この国を奪う為に暗躍している。この土地さえ確保すれば、ブラックオイルは永遠に安定供給できるからな」

 その為に母さんは死んだのか、と思った。

父さんも、エタナも。

僕らには何も関係のない話がいつのまにか大きくなって、僕たちを飲み込んだんだ。

「………僕達は妄想に殺された」

 雪が僕の足音だけを残して声を消した。

ヨーセフも答えなかった。

カンテラに映る雪の筋が、斜めになってきている。

吹雪が始まる前兆だ。

暫く足音を聞いていた僕にヨーセフが声をかけた。

なんだか無理やりな明るい声だった。

「吹雪くな。帰ろう」

 そう言ってきっと真っ白になっているだろうアジトの方向に、僕達はブーツの先を向けた。

雪を踏む音と寒さが僕の意識を奪っていく。

そんな中でヨーセフがまた僕に聞いた。

「ハーディは、お前が殺したのか」と。

 そういえばハーディの死に様を話していなかった。

僕は話す必要もない、と思っていたし、きっとヨーセフも聞くつもりはなかったんだろう。

ハーディが死ぬ前に、ヨーセフには嫌われている、と言っていた。

別段隠す事もない。

だから僕は速度を一定にして、歩き続けるヨーセフの背中に向かって告白をした。

「白というか、青というか、そんな髪の色をした男がきて、ハーディとルディを殺した」と。

 その後のことは言えなかった。

「白い髪の男?他に特徴は?」

「メダルを持ってた。カマキリの………」

「マンティスか。何か言ってたか?」

 たしか、とても低く甘い囁くような声で、

「ゴースト、ゴーストマンティスって」

「傭兵だ」

 ヨーセフの歩くスピードが上がった。

僕は置いていかれないように、思わず小走りに彼の背中を追いかけた。

「ゴーストは傭兵の隠語だ。そいつは何か盗ったか?」

 追いついた背中に縋るよう僕は彼の高い背を見上げながら言った。

「ハーディの手帳………」

 またヨーセフの歩幅が大きくなった。

僕はもうほとんど走らなければ彼の速さについていけない。

「上手くいけば」

ヨーセフが絞るように吐き出した。

「このクソくだらない戦争が終わるかもしれん」

 アジトに到着して、あの地下の薄暗い穴倉を通って、僕達は真っ直ぐに導師アースィムに会いに言った。

アースィムは幕の後ろのボロボロの椅子に座って、煙管を吸っていたけれども、ヨーセフと僕の姿を見上げて、暗い目を更に暗くした。

そうしてヨーセフが言葉を発する前に、その暗い瞳とは真逆の言葉を僕達に投げた。

「待っていた」

 導師アースィムの言葉にヨーセフは一瞬だけ体を強張らせた。

そして、穴倉を響かせる声量で、彼らに告げた。

「ハーディ殺しの犯人がわかった。ウルタニアの傭兵だ。恐らく、奴がハーディの手帳を持ってる。証拠だ、内容を国民に公表すれば、この馬鹿馬鹿しい代理戦争も終わる!」 

「必要ない」

 間髪も入れずにそれを切って捨てた導師アースィムの声は静かで深かった。

煙管の中の火種を地面に落として揉み消した導師アースィムは立ち上がり、僕らに言った。

「緊急招集である。君も広場へ」

 祈りのための広場への緊急招集、それはこの反乱軍の危機を意味した。

それを知っているだろうヨーセフがまだ声を張り上げて、導師アースィムに提言する。

「聞け、アースィム!俺たちはこんな戦争をするべきではない!ハーディが流した王の醜聞は嘘だ!この国が置かれている現状を正しく見れば、こんな戦争を行っている場合ではないとわかるはずだ!その証拠が、ハーディの手帳に書かれてある!ハーディを殺したゴーストマンティスを捕え、国王軍に引き渡せ、真実が明らかになればこの戦争も終わるんだ!」

「戦争は終わらない」

 導師アースィムは顔を付したまま、そう吐きつけた。

そうしてもう一度、呟くようにそれを繰り返した。「………戦争は終わらない」

「何故だ!」

 叫んだヨーセフの背中から、また暗い声がかかった。

消え入りそうな男の人の声だった。

「終わらせない………」

 僕はその聞き覚えのある声に振り返った。

棍棒みたいな銃を持ってそこに立っていたのは、ハーディと一緒に奥さんのナディアさんを探しに行った、イレさんの姿だった。

 イレさん、と僕は困惑しながら彼に話しかけた。

虚ろな笑みを浮かべたイレさんは、僕に、やあ久しぶりだねヤヒム、と笑いかけたけど、表情は微笑みとは程遠いものだった。

「終わらせない。終わらせないよ、ヤヒム。ナディアはどうなってたと思う?」

 イレさんの目は遠くを見ている、と僕は思った。

そしてイレさんはもう決して目の離せない何かを見てしまったんだろう、とも思った。

何年経ってもどれだけ幸せでも、イレさんの目はもうそこから動かない。

「ハーディと別れて、山の中を探した。やっと見つけたナディアは、下半身から血を流しながら木に吊るされていた。陰部には無数の木の棒が詰め込まれて、両足は閉じなくなっていた。その足元でホープは死んでた!まだ一歳の子供が!首を捻じ切られて死んでいたんだぞ!」

 イレさんは笑っているようにも見えた。

きっと憎しみが強すぎて表情が狂ってしまったのだろうと僕は思う。

そのまま笑っているような泣き顔で、イレさんは続ける。

「終わらせない、終わらせないぞ、ナディアとホープを殺した奴を同じように殺すまで私は死ねない!それがハーディだというのなら、ハーディの死体を持ってきてくれ、今からでも同じように彼の全てを奪って殺す。そうでなければ私はもう生きられない!なんのために生きているのか、もうわからないんだ!」

イレさんはそう叫んで、震えながら口を噤んで空を見た。

涙なんて一滴も流れていなかったけど、何故か緊張した身体が痙攣の様にぶるぶると震えていて、それが何かの疾患を思わせて僕はイレさんがとても怖くなった。

「緊急招集を開く」

導師アースィムが再度言った。そして続けた。

「そこで、Stormに協力を要請しようと思う」


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