last of aden~エデンの果て~3
雨上がりの五月の空は高く澄み渡って透明だった。
セルリアンブルーに、クリスタルを混ぜ込んだ淡い発色を示しながら、空は悠々と大地を覆っている。嫉妬したような雲が一筋、その青さに疵をつけていた。けれどもたなびいた雲も、その空の高さには到底届かない。
底抜けに明るい天上を諦められぬひばりが、一声悲しい声を立てる。その一声が話せる島の井戸前に座っていた、一人の男を立ち上がらせた。
「じゃあそろそろいくよ。また今度、一緒に狩りをしよう」
そう男が微笑みかけた先には、めぐちぃの笑顔があった。笑顔には快諾も含まれている。その癖やはり彼女はこんな事を言ってしまうのだ。「このままだと」
ぺろり、と舌を出してめぐちぃは言った。
「すぐにレベル抜かれちゃうわね」
彼女の冗談に、男はまるで風のような爽やかな笑顔を返した。次の瞬間、彼の姿は一筋の光になって飛んでいく。見送るように空へ向けた目が、上昇を続けるひばりを捕らえた。
右手を日よけにして、眩しい日光を感じてみる。全てが平穏で満ち足りていて、めぐちぃは何故だか、不安になった。この満ちるような幸福に自分がまるで追いついていないような気がしたからだ。
だから片手に持った弓を握り締めた。生涯の友と誓った弓だ。そして矢の数を数えて、精霊の玉の残り個数を数えた。
朝からTaizouと女装ヒロはいない。ここのところ常に二人で傲慢の塔に登っている。仲睦まじく、あの傲慢の塔の暗闇を闊歩する二人を思い描くと、彼女もまた得体の知れない闇に飲み込まれそうになった。だから努めて、明るい事を考えた。
ヒロはどうしているだろう。臆病なヒロの事だ、大声を上げて騒いでいるかしら。それとも案外冷静で、的確なサポートをして、Taizouを驚かせているかしら。Taizouの仏頂面が驚きに輝く様を想像して、めぐちぃはくすくすと笑った。笑ったついでに、胸の奥にあった黒い何かも吐き出されたので、腰をううん、と伸ばしてみる。
こんな明るい空を、ひばりですら空に向かって昇っている、そう思ったら体がうずいて仕方なくなった。頭の中に、今日の狩場を思い起こす。どこに行こう。様々な狩場を思い描いていると、妥当な狩場が次々と自分の中に立候補した。
象牙はどうだろう。そういえばTaizouがPOTが足りないと嘆いていた。彼の為に、祝福POTを貯めておくのもいいかもしれない。いや、と今度はハイネがしゃしゃり出た。あんな朴念仁の為に、労力を使うなんてもったいない。ここはお気に入りのペットを連れて、ハイネめぐりでもしていよう。それか、いきなり傲慢にいってやろうか、突然現れた自分の姿に、驚く二人を想像してまためぐちぃの顔に笑顔がこぼれる。
行き先は決まった。道具袋の中に入っていた祝福されたテレポートスクロールを取り出して目的地を思い描く。そしてその輝く紙を破り捨てようとしたときだった。
『めぐちぃ』
頭の中に響いてきたのはWednesdayの声だった。突然のWhisperに手を止めて彼の通信を受ける。
『どうしたの?』
同じクラン員であるはずの彼らだが、こうやってWhisperで会話をすることはよくある。大概がくだらない冗談であったり、噂話であったりする。めぐちぃはいつも通りに続くだろう、Wednesdayの冗談に耳を傾けた。彼の話はいつ聞いても面白い。あっと驚くような奇跡のような事実を聞かされたかと思えば、賢者ですら騙されるような嘘を平気でついてきたりする。だから彼女は今日もまた、この洒落た魔術師の囁きをいつもの御伽噺だと判断したのだった。
けれども彼の、気まぐれな言葉は閉じたままで彼女に物語の序章を伝えてくれない。
『水曜日?』
施すように彼女は言った。。子供が冒険譚を強請る面持ちで。
段々と彼女の中に不安が起こる。けれどもどこかに期待はあった。これもきっと冗談なのだ。この緊迫した彼の声も、妙に自分を不安がらせる沈黙も、きっと次に続く冗談の布石である、と。
しかし、長い沈黙のあと、彼は幽かに唇を噛んだ。次に、搾り出すような声で、彼女に強く、囁いた。
『逃げろ。誰にも、見つからない所へ』
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傲慢の塔の空気はやはり暗く淀んでいる。今が何時なのか、天候すらわからないそんな暗闇の奥で、時折呻きのような、叫びのような細い物音が聞こえてくる。耳の奥を刺激する恐怖をなるべく聞かないように努力しながらも、女装ヒロの足は震えていた。かみ締めた歯と、意識を強くもって、前方を歩くTaizouの銀色のマントを見据えている。
対するTaizouは慣れたものだった。普段どおりの無口に加えて、今日はやけに足が速い。幸い彼女(彼)は風の精霊を従えていたので、Taizouの速さにどうにかついてはいけた。けれども、ついていくのが精一杯だ。だから精一杯、虹色に輝くマントに追いすがる。
女装ヒロにとって、彼の光は灯火だった。この傲慢のぬめる暗闇に置いても消して光を失わない、戦士の意気。そのぼんやりした、けれども確かな光に追いすがることだけが、彼女(彼)を安全へと導く方法である。必死にその光だけを見つめていると、いつしか意識も、不安も、恐怖も消えて、まるで自分が一個の虫になっているような気分に襲われる。自分の視覚が虹色の中に閉じ込められて、他の一切が見えなくなる。やがて恐怖は消えて、ただ満ち足りたような安らぎが彼女(彼)を支配する。網膜に映る七色の色彩に、思わず溜息をついたら、思考が人間の体へ戻ってきた。夢から覚めたような、未だ夢の中のような、曖昧な心持で彼の背中を見つめている。
ふ、とその光が左へ逸れた。何かしら大切なものを失った気がして血の気が引いた。思わず駆け出して彼の背中を追いかける。
自分と意識を完全に合致させたのは、傲慢の真っ暗な暗闇だった。右をみても左を見ても、彼のあの美しい虹色が見出せない。失態に喉が渇いた。どうしよう、と頭を左右に振って彼の姿を暗闇に探す。
「Taizou・・・」
遠慮がちに声を出してみた。返事はない。不安が増幅する。はぐれたのだ。闇の奥で、何とも知れぬ姿の化物が哂っている様な気配がする。
「Taizou・・・!」
乾き、掠れた声でもう一度彼の名を呼んだ。この暗闇が恐ろしくて、光などあるはずもないのに、闇を掻き分けるよう左に逸れた。瞬間。「イタッ」
柔らかい絹と硬い鎧が同時に女装ヒロの鼻の頭を攻撃する。ふいの攻撃に目が閉じる瞬間、それは確かに虹色の光を放っていた。罰も悪そうに頭上を見上げると、やはり高いTaizouの背がそこにある。
光を見つけて落ち着くはずなのに、彼女(彼)の表情は失敗に憂いた。上げていた顔を下げて、小さく呟く。「ご、ごめんなさい・・・」
まさか、貴方に見とれていて、とはいえないから、弁解を飛ばした。謝罪のみが彼女(彼)を正当化する、たった一つの手段だ。
Taizouは答えずに、そのままの姿で前方を見ている。そして小さく、うん、と答えたのちに歩き出した。
女装ヒロは注視する。今度こそ彼の姿を見失うまい、と。一度ならず二度も失敗をした自分を、Taizouが切なそうな目で見る、その表情だけは見たくはなかったから。その真剣さでもって、女装ヒロはTaizouに関するある変化に気がついた。先ほどよりは、大分速度か落ちている。彼女(彼)ははじめ、それをヘイストが切れている所為か、と思ったのだが、どうやら違うようだ。BPが切れてしまっているらしい。
「あ、Taizou。私、BP、持ってるよ」
名誉挽回の一大チャンスだ。ここぞとばかりに道具箱を探る彼女を、Taizouはその広い肩から振り返り見た。暫く目を見ていなかったので、見つめられて思わず頬が赤らむ。
「いい」
とTaizouは小さく呟いた。顔が上気して上手く答えられなかったが、どうにか彼の言葉に返す。
「で、でも」
彼の目を見ないように努めながら、女装ヒロは道具袋を探る。けれども、やはり抑揚のない声で、でもどこか暖かい声で、Taizouは告げたのだ。
「もったいないから」
そういわれてしまっては立つ瀬がない。そうして女装ヒロは、Taizouが言ったもったいない、の理由を自分の失敗の所為だと置き換えた。また小さく、彼女(彼)の口から謝罪が漏れる。「ごめんなさい・・・」
その時、Taizouは確かに既に歩き始めていたのだが、彼は徐に足を止めていった。
「あと、一階上がったら少し休もう。疲れた」
以前、その声はぶっきらぼうで、飾り気のないものだった。けれども女装ヒロは、彼のなんとない言葉に、自分の中に渦巻いていた罪悪感がゆっくりと、消化されていくのを感じていた。
Taizouが指定した休憩場所まで、あと数十メートルだ。特に危なげな様子もなく、この場所までたどり着いた彼らだったが、階段前で数匹のモンスターと戦闘を行う事になった。
迅速に、けれども正確に、モンスターのターゲットを受けて、Taizouが応戦する。女装ヒロもまた、注意深くTaizouの殴るモンスターを見て、弓で攻撃する。減ったTaizouの体力をグレーターヒールで回復し、自分もまた、ブラッディーソウルで魔力の回復を図る。そうしながら、女装ヒロの長い耳は、辺りの物音を探っていた。叫び倒れるモンスター達の悲鳴を聞きつけて、人間の気配を嗅ぎ取った彼らが沸いてきはしないか。あるいは、この道を通るかもしれない人間達のPTの気配など。様々な状況に気を配りつつ、彼女(彼)が、減ってしまったTaizouの体力を回復させるため、グレーターヒールを使ったときだ。
何かがいる。
それは暗闇の中で、確かに蠢いている。けれども姿は闇に紛れて、姿を確認できない。
彼女(彼)が、突如沸いた不安を解消させるために、思わず背後を確認した、その時だった。
【我が天上に、真理の光は輝けり。咎人よ、埋めし罪を今一度、汝が悔恨とともに悔い改めよ】
ディテクション!
天上に走った真理の光に気おされて、思わず女装ヒロは目を閉じた。彼女(彼)の一瞬出来た隙を狙って、再び何者かが詠唱する。
【おお、静なるは大地なり、動なるはマーブルの領地、我、古の紋章を従えて、数多の大地を震わさん】
続いて白黒する彼女(彼)の体に襲い掛かったのはイラプションだ。一瞬混乱した頭を冷静に切り替えて、まずはその場を離れ、事態の状況を把握する。迫る土の波の隙間から覗けたのは、恐らくは二体のブラックナイト。いや、ブラックナイトに変身しているであろう、何者かの姿だった。
「この・・・!」
幸いにも、先制はあちらだ。力を込めた弓で、相手を見据える。最大まで引き絞った弓は、三本の矢を相手に向けて飛ばした。一体が苦しそうな声をあげる。即座に矢を構えて、再びのトリプルアロー。しかし、確実に与えたはずのダメージは、恐らく魔術師であろう、彼らの回復呪文で悉く癒されてしまった。
【暁の野に立つ黎明の乙女達よ、傷つき倒れるものに手を差し伸べよ!】
乙女達は無情にも敵の頭上へ召喚され、奴の傷を治した。悔しさに顔を歪ませて、三手目を繰り出そうとする女装ヒロの前に、いや、眼前に、剣を従えたTaizouが立った。振り上げた剣は天上から、ブラックナイトの肩を袈裟懸けに切り裂いた。
思わずよろめくブラックナイトに、仲間が再びグレーターヒールをかける。構わずTaizouは二手目を、同じブラックナイトに浴びせかけた。「待て!」
静止の声を聞いて、Taizouの剣がすんでで止まる。剣の下にあって、今にも切り伏せられそうだったブラックナイトが、ゆっくりと剣の下から体を離し、女装ヒロとTaizouに正対した。
「何のつもりだ」
低いTaizouの声が響く。Taizouの声を聞いて顔を見合わせたブラックナイトの一人が切り出した。
「貴様、Taizouだな」
そうだ、と小さくTaizouは答えた。燃える目には歴戦の勇者の火が灯っている。この世界で彼の名をしらぬものはいない。そして、無防備に彼に挑むものも。
けれどブラックナイト達は無機質に、彼の激情を受けている。その漆黒の鎧さながらの冷静さで、再びブラックナイトは語った。
「邪魔をすれば、貴様も同罪だぞ。アデン王の命をもって、刑を執行する」
「何の話だ!」
埒の明かない彼らの態度に、普段決して感情を見せることのないTaizouが激昂しする。
Taizouの態度に何かを感じたのだろう、暫く押し黙っていた(Taizouの攻撃を受けた)ブラックナイトが怪訝そうに彼に問う。
「貴様、勅令を知らんのか」
「勅令?」
鸚鵡返しにTaizouが聞く。ブラックナイト達は黙っていたが、やがてふところから一枚の紙切れを出した。
槍を納めて、それをTaizouに手渡す。もぎ取るように、アデン王の印の入った紙切れを引っつかむと、破りそうな勢いで開いた。
そこには、これから始まる、アデン暗黒の時代の序章とも言える、恐怖の文言が踊っていた。
―エルフにまつわるもの、エルフ族であるものは、全員アデン城へ出頭すべし。抵抗するもの、逃亡するものあらば、その場にて殺害を命じる。 アデン王 ラウヘル ―
覇王ヒロのクランに居た時に書いてたこれの雪辱戦をしたい。結局ここで折れてしまった僕。
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