ダンダダンを語りたいので語るスペシャル
いうて、まだまだ五釘は燻ってるんですが。
今期覇権じゃね?
絶賛放映中のダンダダン、ジャンプラ本誌でもかなり物語の最重要部分に食い込んできた気配のあるこの物語、もしかして令和に出てきた覇権ストーリーなんじゃね?という予感がしている。
オカルティックラブコメ青春バトル、意味が解らない。全部乗せ。
ラーメン屋に入って「ヤサイマシアブラマシマシ」って叫ぶレベル。
それに「エクストラコーヒービターキャラメルフラペチーノ」って言ったらそれが出てくるレベル。カロリーで死ねる。
まあでもダンダダンの本質はそこではないわけです。
ダンダダン、令和時代が避け続けた要素をしっかり「黄泉がえり」させてるんだ、そこが昭和平成世代にぶっ刺さる。昭和平成世代をグッサグサに刺しながら、令和世代には新鮮さを提供する、「はぁん、完璧なんだよね?」って言っちゃうレベル。
鬼滅ライン踏襲
数年前世間をにぎわせた「鬼滅の刃」あの鬼滅の刃がなんであれだけバズったのか、個人的にはそこに「義理人情」が介在したからだと思っている。
普遍だなあ、と思うのだけど、結局人間が「悲しんだり、感動したり」する幅ってものは一定なんじゃないか、これもしかしたら世界共通なんじゃないか、個人差はあれど、が最近の結論。
私は鬼滅に求めたものはやはり「鬼になるしかなかった人間達の苦悩を救い上げる」行為だったし。バトルは添え物だった。
嗚咽するほどの苦痛があり、苦痛に満ちた人生があった。それは現代でもどこかで起こっている事で。
自分たちの身の回りで起こった耐えがたい事件、それを救済してくれるヒーローとして炭次郎は機能する。
だが、鬼滅に「笑い」があるか?と聞かれたら「笑いはない、なかった」と私は断言する。お笑い好きを唸らせる「緩急」ってものが鬼滅には存在しない。どうやっても「頑張って」る感が否めないのだ。
鬼滅&ワンピライン
ちなみに鬼滅の笑いと似ているのがワンピースである。
「頑張って」しまっている。
諧謔は弛緩から生まれるもので、お笑いの基本として語られる
「緊張と緩和」の重要性がこうやって生まれてくる。
緊張したバトルシーンが続き、そして緩和としての笑いが存在できる。
鬼滅は「常に頑張って」おり、緩和がない。
ワンピは常に「緩和」しており、戦闘に緊張がない。
ワンピがハネたの、多分チョッパーのヒルルクの桜からだったんじゃないかと思う。「泣ける」のだ。それは様々な意味の涙だけど、根底にあるのは義理人情。普遍的な人間の感情を揺さぶるヤツである。
令和の物語、まぁ、その、某呪術に義理人情はない。かっこ悪いと思ったんだろう。格好悪い事=格好いい、というところまで踏み込めないのは不幸だと思う。泥臭いのが一番恰好いいのだ。
じゃあ、ダンダダンと似ている笑いがあるのはどれなんだい、と聞かれたら私は答える。
銀魂である。
笑いの教科書としての銀魂
私は銀魂の第一話をジャンプで読んだ時にこう思った
「この漫画が流行らない日本は終わる」
それぐらい高度だった。セリフ回しが完璧である。
ジャンルで言うと「ダウンタウン」の漫才に近い。ダウンタウン松本人志の才能のすさまじさについて、私はよく言及をするのだけど、彼の笑いは「筒井康隆」なんだ。SFなんです。松本人志のトークって。
ごっつのブルーレイ持ってる人はわかると思うけど、
「彼氏の名前を入れ墨にして腕に入れた瞬間別れました。どうしたらいいですか?」
の質問に
「彼氏の名前に続けて〝など〟って彫れ」
と答えた発想の転換力。今見ている現実からすこーんとどこかの異空間へと連れて行ってしまう表現力。これ銀魂に全てある。
ちなみに空知先生は、若い頃ダウンタウンのラジオのはがき職人をしていたそうです。当然よねーwって感じ。
これがダンダダンとどうつながる?って話なんだが。
ダンダダンの笑いは「ダウンタウン」ではないです。ダンダダンのお笑いは「ドリフ」です。吉本新喜劇にも近い。
ワチャワチャゴチャゴチャ、癖の強い人間がボケて滑って転んで、最期に「人情」で〆る。
また、ネタのガキ臭さが非常にハマる。結局「うんこ」と「ちんこ」が小学生男児には一番のツボなのだ。
小学生男児が「うんこ」と「ちんこ」大好きなのはそれが禁止されているからである。禁止されている「うんこ」「ちんこ」が突然日常に飛び出すと、それが笑いに変わる。
この小学生男児メソッドに騙される人はいるんだけど、ダンダダン、間の開け方はマジで教科書レベルで上手いですよ。
テンガロンチンポシーンをみよ。完璧なので。
令和の物語ではあるんですよ、ダンダダン。
笑いですら「視覚的」なんです。文字を読んで笑う、ものではなくて、視覚的な笑い。そこに義理人情が絡むから、当然どりふになるよねえ。
ワンピが「正義を希求する人間の心」を刺激したとするなら
鬼滅やダンダダンは「ままならない人間の苦悩」を肯定的に描いた。
ままならない人間の救済として、ぎゆう太郎や堕姫、は存在し、それを打倒したのが鬼滅
ままならない人間の救済として、アクサラやターボババアは存在し、それを仲間にしたのが「ダンダダン」
ここいらも令和的。
仲間になろうよ!
宇宙人も妖怪も、ダンダダンの世界では仲間である。義理人情を手に取った瞬間、彼らは仲間になる。六郎もシャコさんもそうだ。カシマレイコにも人情があった。この人情、使い古されたダサい、カッコ悪い概念みたいに捉えている一部もいるっぽいけど、(本当にいるっぽいけど)(某じゅ・・・)
文楽、歌舞伎、遡れば方丈記、源氏物語から日本人の中に居ついていた概念である。それを「カッコ悪い」から拒否したり、見せ方を変えたりするのはリスペクト足りてないんじゃない?ってハナシになる。
最近はダンダダン、海外の反応勢がお気に入り。
男女平等が進む欧米であってもアイラのあの態度は、全ての女性視聴者の顔を歪ませた。欧米でいう「リスペクト」日本風でいうと「人情」物語る上で大切な要素なんだな、っていう普遍を目にしたっていう話です。
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