STORM 13
Purple Lamborghini 2
端的な自己紹介を済ませた後、シン・ライツはすぐに振り返り、目の前の巨大な白い扉に手をかけた。
置いていかれてなるものか、と思った。
世界は確かに間違いでは満ちている。
だからこそ私達、女性には理性があり、その理性をして他者を教育しなければならない。
足早に彼の背中へ追い縋った。
短い三段のステップを駆け上がり、彼の高い背中を見上げながら抗議の言葉を腹で練った。
背が高くて足が長いから、私は走らなくちゃ彼に追いつけない。
足早に出す脛の先が、私のタイトドレスの裾をバタバタと羽ばたかせる。
「どういう事?未成年の少女よ、婚姻なんて」
「我々の婚姻に君の許可が必要かね?」
事もなげに言い切る彼の態度に腹が立った。
間違っていることはどうあっても間違っているのだ。
「み、未成年の少女は判断力に乏しいわ!知識がないから簡単に騙される!そんなの、対等な関係だと思ってるの?!」
「素晴らしいエイジズムだ。個人の資質を年齢で判断するとは。私以上に知識のある少年、少女の存在、或いは5歳児より理性のない大人の存在を君は無視すると?」
「レアケースよ!そんなの!」
「レアケース、つまりマイノリティだ。そう言ったマイノリティを擁護する事こそが多様性だ、そうは思えないかね?」
怒りが喉を詰まらせた。歯の奥と喉が震える。顔が赤くなっていくのがわかる。
まるで自分が辱められた気分だった。
だからこそ、冷静さを装って彼に噛み付く様言葉を投げた。
「反論は必要ありません。これは未成年の性的な搾取であり、犯罪なの!倫理には従うべきよ!」
考えられる中で一番強い言葉だ。
差別、搾取、倫理、この言葉はゲームを終わらせるには最適な一言。
何より、言った私の気分がいい。
「自身の言葉に従え、と他者に宣言できるとは実に傲慢だな。私は君に、土地も地位も金も貰ってはいない。私が君の言葉に従えばそれこそが奴隷契約であり権利の搾取そのものだ。また、宗教的、文化的な差異に優劣をつけ断罪をする。自身の文化、宗教こそが優れており、他の文明、文化、宗教の根幹を尊重しない。見事だな」
彼が足早に短い六段のステップを駆け上がった。
そのまま体を反転させ向き直り、今度は上段から私を一度見下ろして、次に視線を外した。
相変わらず冷たい何もない表情のまま、彼の視線は遠くに投げられる。
素晴らしい仕立てのチェスターコートが一瞬翻り、その重さで真っ直ぐに伸び、彼の佇まいを調律する。
白いグローブは体の正面で組まれた。
私は彼に掴み掛かりたかったのだけど出来なかった。
その逡巡を見越して彼が、短い勝利宣言をする。
「見事な差別主義者だ。歓迎しよう」
彼の隣には玉座があった。
白い大理石の玉座だ。
座っていたのは、丸で野良犬の目をした女だった。
酷い隈だった。
まるで数日は寝ていないかの様な濃い隈が、彼女の目の下に刻まれている。
此方を睨め上げる様な眼差しと、それでいて視線の合わない黒目がアンバランスで、私は彼女の目を見ただけで体を引いてしまった。
引いた体が恥ずかしくて、どうにか姿勢を整えた。
誤魔化せたかどうかはわからないけど、そこをあげつらうような女性ではない。
多分、もっと恐ろしい。
「初めまして。今日から、在ランドマリー、ウルタニア大使に就任しました。サエル・ベルと申します。お目にかかれて光栄ですわ、フェニス様」
タイトドレスの端に飾られている遊び布を持って広げて頭を下げる。ウルタニア式の挨拶だ。
顔をあげて彼女、聖シオン鉄騎団の団長であるフェニス・ヘンリエッタを観察する。
首元までのボブカット、前髪はなんだかザラついて見える。
顎の形も綺麗だし、鼻筋も高い。
整った顔つきだと思うのに、どこかアンバランスなのは、多分目の力だ。
前髪がその暗い瞳を隠して影を投げて、彼女の地獄の底の様な目の色を更に強調している。
そして左腕。
噂に聞くフェニスの義手だ。
ここからだとローブに遮られて左手首から先しか見えなかったけど、本来は左肩の付け根から義手を装着しているらしい。
奴隷だった彼女を、ランドマリー軍の総帥、聖シオン鉄騎団の団長まで押し上げたというオリハルコンの義手。
彼女の人生が、その暗い目と義手から窺い知れる。
恐怖はあった。でも感嘆もしてた。
セーフゾーン外で頂点に登りつめた彼女に対して畏敬の念も持ってた。
でも私は気づいてしまった。
思わず目を伏せて唇を噛んだ。
彼女は真っ白のローブを羽織っていた。
表も裏も暖かそうな柔らかい毛に覆われている。
多分、ランドマリーに生息するキマイラ亜種の体毛を使った物だろう。
そのローブの奥の彼女の肉体は、生まれたままだった。
足を組んでいるから性器は見えなかったけど、曲げた背に押しやられた腹部の柔らかさも、小ぶりだけど形のいい乳房がここからでも観察できる。
考えられない、と腹の底で唸った。
隣に男性がいるのよ?!男は動物だから、フェニスの様な美しい逞しい女性にだって性欲を爆発させる、女性は美しいからこそ肌を隠すものよ、隠すべきものを隠さないなんてなんて常識がないのかしら!
でもそんなことを彼女に言えるわけもなくて、顔を赤くしたまま俯いてた。その私に声がかかった。
「はぁ、なんともいじらしい姿じゃないか。彼女か?」
シン・ライツではない男の声だ。不審を目に声の方向を見ると、フェニスと並んで座っている男がいる。私から見て、シン・ライツはフェニスの左に立っていた。
そしてフェニスを挟んだ彼女の右隣に、カシの木の骨組みに上等な生地とスプリングで作られた来客用の椅子に男が座っている。
長い足を組んでピンクのスーツを着た、真っ白い顔にいやらしい笑みを湛えた気持ちの悪い男だった。
「いや、上等上等。中々にいい素材だ、この恥じらい、この儚さ、この若さ!何もかも完璧だ!」
男は白い肌を歪めながらまるで舞台俳優の様に両手を広げた。
隣のフェニスの表情は変わらない。
変わらないまま、私にはわからない一言を言った。
「ああ、前金だ」
低い声だった。そして抑揚もなかった。
その言葉は明らかに、私に対する歓迎の言葉ではなかった。
困惑しながら、どういうことですか、と発しようとした瞬間、背中から動物の断末魔が聞こえた。
フェリダス。
息を飲んで振り返ると、逞しいフェリダスが大きく口を開けたまま、喉を両手で押さえている。彼女の毛むくじゃらの喉から真っ赤な血液が後から後から溢れてきていて、それを見た私はやっと状況を理解した。か、か、と喉を必死に鳴らしていた彼女の喉から漏れる呼気のヒューヒューという音が、だんだんと小さくなっていき、綺麗だった水色の瞳が濁り、首を抑えていた両手の力が抜けていく。
倒れかけたフェリダスの体を支えて、その後ろから現れたのは美しい青色の髪を持つ男だった。整った顔に濃いメイクを施してる。
震え出した足を見透かした様に、フェリダスの体を床に投げ捨てた背の高い美しい男が、血まみれの指先でウェーブがかった髪をかきあげながら現れた。
「やっだもう、最悪ぅ。こいつメスじゃぁん。先に行ってよねー?シンー。アタシ、メス触んのもやだっていつも言ってるじゃぁん」
腰をくねらせながらその美しい男は言った。
呼びかけられた壇上のシン・ライツが呆れた声で彼に返す。
「君の職務だろう。忠実に」
「はぁぁー?!あんたいっつもそれ!あんた部下死んでないじゃん、アタシの部下めちゃくちゃ死んでんだけど?!ハーディ死んだらマジ泣くからね?!アタシ!!」
死体と私を無視して行われる茶番劇が信じられなくて、とうとう足の力が抜けてしまった。
へたり込んで床にくっついた尻を、フェリダスの見開いた目が見ている。ゾッとして足を引いた。
「死体は寄越せ。素材にする」
今度は女性の声だ。フェニスよりは幾分か高い。
けれど発する言葉や音律は、彼女の姉妹なんじゃないかってほどよく似てた。
暗くて深い。冷たくて硬い。
シン・ライツの後方の闇から現れたのは小さな女だ。
白衣を身につけて、頭上に電子メガネをかけたやっぱり暗い目をしたぼさぼさ頭の女に、オネエ言葉の男がくってかかる。
「ルーシーィ?!あんたさあ、さっさと兵隊揃えなさいよ、ぶっちゃけ、イッツだけでもいけるんでしょー?ねえマジで、久々に出来たカレシなの!………三日ぶりぐらい」
「アンジー、このクソカマホモ野郎。そういうのはセフレってんだ、カレシなんつう上等な言葉使うなてめえ」
二人の掛け合いをぼうっと眺めてた。
全てが理解できなかった。
何故?何故殺すの?何故殺す必要があったの?
私は大使よ、私を攻撃することはつまり、二国間の戦争を意味する。
震える指で右耳のカフスを触った。
ウルタニアの誰かが、この状況を知っていてくれるのなら、と淡い期待を抱いて。
私の行動にめざとく気づいた、ルーシー、白衣の女が私に言う。
「鉱石魔法探知だろ?室内ジャマーが入ってる。おい、カマホモ、そこの女のイヤーカフスを寄越せ、ハッキングする」
ルーシーの言葉を聞いた男、アンジーの目が私に向けられた。
胃の奥から恐怖があがってきて、足が震えた。
力が入らないから必死で床を蹴って、近づいてくる彼から距離を取ろうとした。
「………いやっ!いや、やめて、殺さないで………!」
まだ血液の付着した男の手が、私の頭を掴んで耳からカフスを引き抜く。
頭を抱えて震える私のそばで、カフスを投げた男が私を見下ろして侮蔑した。
女性の言葉を使うのに。女性の化粧をする癖に。女性の紛い物でしかない癖に!
「なぁにぃ?その目」
アンジーは笑った。私が今まで見たこともないぐらい、邪悪で底意地の悪い笑みだった。
「やっぱアタシ、ウルタニアの女が一番嫌いだわ。あんた達みんな思ってるもんね?アタシみたいなカマホモは、所詮自分達、女のイミテーションだって。だから仲良くしたがるのよねえ」
そこまで言って彼はその高い背を縮ませた。
ゆっくりと震える私の目線まで降りてきた彼は、その美しい顔を底のない憎しみで彩ってる。
これが憎しみか、と私は思った。
こんな深くて悍ましい感情を、私は持ったことも向けられたこともなかったんだ。
「思想も思考も全く違うのに、勝手に自分達にとって都合のいい人扱いしちゃうのよねえ。ねえ、教えたげる。アタシはあんたみたいなクソ女が、この世で一番大嫌いよ」
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