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じぃじが死んじゃったときどうすればいいか分からなかったので、

「悼むという行為」-人称と死の視点からー

○「悼む」とは

「悼む」とはどのようなものか、死を捉える方法に立ち返って考えた。

辞書の定義によると、悼むとは、「―人の死を悲しみ、嘆くこと」であり、痛、傷と同源だそうだ。

「死別の社会学」によると、イギリスの社会学者であるゴーラーは、

「社会的に共有された哀悼の儀礼、それによる社会的支援が欠如していることが、悲嘆を個人的に引き受けるという社会状況を生み出し、さらにはそれがときとして心理的に困難な状態を個人にもたらしている」

と主張した。

○人称と死

古典的な死の分類方法に、「一人称(態)の死」「二人称(態)の死」「三人称(態)の死」と区別するものがある。
この概念の理解は、我々が死をどう捉えているかを認識する際に有用だと考える。
この概念はさまざまな文献で散見するため、ある2人の解釈を参考にする。

一人称の死:
柳田邦男の著書『犠牲』では、自分の死を意識し、その上での行為選択の問題として論じられる。
一方哲学者のヴラジミール・ジャンケレヴィッチは実効性、即刻性、身を持っての関連によって特徴付けられ、実現するまで経験できず、それまでは無関係であり続けるものだと説明する。
この点で、後ほど触れる三人称の死との強い関連性を主張している。

二人称の死:
柳田曰く、

「二人称(あなた)の死は、連れ合い、親子、兄弟姉妹、恋人の死である」「つらく厳しい試練に直面する」

とある。あなたの死という言葉には、自分の死に値するほど辛く、重みのあるものということが込められている。
ジャンケレヴィッチは

「第三人称の無名性と第一人称の悲劇の主体性との間に、第二人称という、中間的でいわば特権的な場合がある。遠くて関心をそそらぬ他者の死と、そのままわれわれの存在である自分自身との死との間に、近親の死という親近さが存在する。」「親しい存在の死は、ほとんどわれわれの死のようなもの、われわれの死とほとんど同じだけ胸を引き裂くものだ。」

と説明する。

三人称の死:
柳田は

「三人称の死は第三者の立場から冷静に見ることのできる死である。」「昨日と今日との生活が変わることもない」

などと、われわれの日々の生活で意味を持つことがない死として捉えている。
ジャンケレヴィッチは

「死の一般、抽象的で無名の死」

と説明した。
三人称の死は日々の生活にあふれており、いちいち反応していては心の平衡を保てない。ここに静人が「悼む人」となったポイントがあろう。

○人称の死どうしの関わり

別の人称の死どうしがどう影響を及ぼしあっているのか、「死別の社会学」より「第8章第三人称の死と関わる」から引用しつつ考えていく。
二人称の死と三人称の死:

「第三人称の他者との関係における一般的な意味や価値の欠如こそが、親密圏における愛や記憶されることの重要性を浮かび上がらせている。」

つまり、三人称の死のような客観的で抽象的な死があるからこそ二人称のような死を定義することができるということだ。
死後も自分のことを覚えていて、想ってくれる人がいるというギデンズ的な不確かな「信頼」は、親密圏以外の他者との関係の中で発見・構築するものだと考えられる。

一人称の死と三人称の死:

「第三人称の死を、私たちのアイデンティティーにとって無意味で無価値なものとして通り過ぎていることこそ、自らの死の社会的な意味や価値の欠如を構築しているのである。」

私たちは生きていく中で親密圏の人々とだけ関係を結んでいるわけではない。
自らのアイデンティティー形成には、むしろ第三者との関わりが大きいのではないだろうか。そんな中で第三人称の死を無意味なものとして受け止めるのは、自分をおざなりにしていることを意味する。

○「悼む人」「静人日記」における「悼む」の意味

作中の悼む人、坂築静人は、その人が確かに生きていたことを胸に刻むという形で故人を悼む。それは静人の母が「誰かの死を、忘れても仕方がないものにしてしまうなら、結局は、あらゆる人の死が、忘れられても仕方のないことになってしまうんじゃないか」と息子の思いを代弁する部分からもよく分かる。

彼は「覚えていること」に大きな意味を見出していると言える。
彼は、自分の家族を重ねて祈るのではなく、その人自身の存在をこころに刻む。
生前の姿を知らないため、冥福を祈るのではなく、故人を特別な存在として覚えておくことを「悼む」と呼ぶ。

○「悼む人」が捉える死

このように見ていくと、彼の中に「第三人称の死」はないことが分かる。しかしすべての人を二人称の死のように捉えているわけでもない。

つまり彼は、2.5人称的な死の捉え方をしているのではないだろうか。
誰の死も平等に扱う点は客観的であり、三人称の死のようだが、ひとりひとりをかけがえのない人としてこころに刻むのは二人称の死のようだ。
そして彼はこの悼みの中で、自分の死、一人称の死を常に見つめているような気がしてならないのである。
事実、彼は「静人日記」の中で、

「人が亡くなることについて、旅に出る前のように、単純につらいこと、悲しいこと、忌むべきこと、とは思わなくなった。」

と語っている。悼みを重ねる中で生死の捉え方に変化が生まれているのだろう。
三人称の死と一人称の死の関わり方として、「死別の社会学」から引用すると、三人称の「アイデンティティーを認め合い、病み、死にゆく身体をもつ者として関わりあう」ことで、自分は何者であるか、「何者として死ぬか」、つまり自分の死、生と向き合うという考え方がある。静人の「悼み」にはそういった要素も含まれているのではないかと考えた。

○悼みの先にある伝承

「静人日記」の中で静人は、故人のことを覚えているだけでなく、いつかは語れたらよいといい、実際に老人ホームのお婆さんに別の場所で亡くなった子供の話をするシーンもある。
「悼み」として心に刻んだ後、その存在を別の誰かに伝えるとそれは伝承になる。
静人のように様々な場所で亡くなった人を訪ねるのではなく、ひとつの場所で多くの死者を出した災害などを伝承する人たちは、どのようにそれを行っているのだろうか。以下は広島の原爆被災者たちの継承研究の引用だ。

「彼らが伝承講話をめぐり行っているのはどのような実践なのか」
「他者の記憶を継承・伝承するという場面で彼らが行っているのは,過去の出来事の『持続』に触れ続けようとする共同的な実践であると判断される.彼らの実践は,少なくとも他者の記憶を詳細かつ忠実に受け継ぎ,できるだけその形を保持したまま次の世代に受け渡そうという記憶表象主義的な試みではない.」
「彼らが志向しているのは,単に過去の出来事に触れることではなく,過去の出来事の『持続』に触れることである.この持続への接触こそが『確かにその出来事はあった(そして今も続いている)』というアクチュアリティを生み出す.」

これは静人の悼む姿勢とかなり大きく重なる部分があるのではないだろうか。
彼は悼む対象のことを詳細に忠実に理解することに重きをおいていない。
そもそも生きている人でさえ理解するのは困難なのだから、考えてみれば当たり前のことである。面識のない人ならなおさらだ。
自分が見知った人たちのように、亡くなったこの人は確かに生きていた、愛されていた。そのフラットな事実だけで、悼むには十分なのである。
悼むとは、一定の距離を持って寄り添うということかもしれない。

参考文献
「悼む人」天童荒太,2009,文藝春秋
「静人日記」天童荒太,2009,文藝春秋
「死別の社会学」編著者・澤井敦/有末賢,2015,青弓社
「人はいかにして他者の記憶を語るのか:原爆体験者の記憶をめぐる継承の研究」安斎聡子. (2018)(Doctoral dissertation, 青山学院大学).

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