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ひとり大好き人間が、経歴をさらけ出しながら、やりたいことを言語化してみました
こんにちは、ひとり好きのチロです。
「内向型」「創作」「ワクワク感」
をテーマに活動しています。
僕は昨年の9月に、八木仁平さんの提供している「自己理解プログラム」を受講しました。
そして、最近になってようやく、自分の本当にやりたいことをしっかり言語化し、アウトプットできるようになってきました。
そこで今回はタイトルのとおり、自分のやりたいことと、その理由について、さらけ出してしまおう、という記事になります。
「さらけ出す」というタイトルのとおり、自分の人生のものすごくネガティブな部分も掲載しているため、読む際にはご注意ください💦
やりたいことは?
僕のやりたいことを細かく言語化すると、
「①ひとりでいることが好きな内向型の人が、
②創作のアイデアを通して、
③安心感とワクワク感を感じながら生きられるようにすること」
になります。
改めて言葉にしてみると、ちょっと長いなぁ……なんて思ってしまいます。
僕は2023年9月30日にプログラムを終えたのですが、
正直、修了直後は自分のやりたいことにあまり確信を持てていませんでした。
最初は「内向型の人が、『ひとり』を肯定して安心して生きられること」という、もうちょっとシンプルな内容でした。
しかし、個人的には、あまりしっくりきていなかったんですよね。
そして、終了後も何度も自分の価値観を振り返ってみて、
「やっぱりどれも譲れない!」と思い、
この3行を掲げて進んでいくことに決めました。
なぜ、この3つを目指すのか?
では、掲げた3つの旗は、それぞれどんな意味を持つのか。
ここからは僕の経歴をお伝えしながら、そこに込めた思いを書いていきたいと思います。
①ひとりでいることが好きな内向型
僕は幼少期の頃から、いわゆる「ひとり遊び」が大好きでした。
・小学校から帰ったら、地元から少し離れた祖父母の家に連れていかれ、ひとり遊び
(母が、祖父母の営む商店で働いていたため)
・小学校の昼休みは、ひとりでお絵かきや読書
・中学校の昼休みは、ひとりで勉強or先生の手伝い。帰っても、勉強
こんな感じで、ひとりでいることが普通。
騒がしい場や、複数人の環境は苦手、という子どもでした。
小・中学校だと、先生の話を聞かずに勝手に喋っている、という子も多かったと思いますが、僕はそれを見て「なんで静かにできないんだろう?」と、とても不思議でした。
繰り返しますが、ひとりの時間は僕にとって苦痛でも何でもなく、むしろ、自分らしくいられる大好きな時間です。
しかし、18歳になって栄養科の専門学校に入り、自分の頭にこんな悩みが生まれました。
「自分はコミュニケーション能力が過度に低いのではないか?」
「このままでは、社会でやっていけないのでは?」
そんな風に思った僕は、明るく楽しいノリの良い人間のように、自分を偽って生活するようになりました。
もっと他人と関わらないと、もっとコミュニケーションが上手くならないと。
そう思い込んでいたんですね。
今になって思い返してみると、当時の自分には申し訳ないことをしました。
ひとりでいることが好きなら、そういう自分をそのまま受け入れてあげればよかったのに。
この自己否定のせいで、社会に出てから更に苦しい思いをすることになるのですが……これは、③で記述していきます。
②創作のアイデア
①で、ひとりの時間が大好きだった、という内容を書いてきました。
ならば、ひとりの時間に何をしていたのか……もう少し具体的に思い返してみると、自分は「妄想」や「物語」、「思考」、「創作」に夢中だったことが分かりました。
・小学校時代にハリーポッターの小説を5、6回繰り返して読む
・一人用ゲームを黙々と遊ぶ。稀に友達の家に集まっても、一人用ゲームで遊ぶ
・「物語を書く」という国語の授業で、原稿用紙60ページほどの大作を書く
・自由帳に自分の妄想ワールドを繰り広げる
・寝る前に自分の空想の世界を冒険する
・パソコンの授業で、PowerPointでオリジナルキャラクターを作るのにハマる
・水平思考ゲームや脱出ゲームをひとりで考えて、答えを導き出す
・社会人になってからも、ショートショートを書くのにハマる
等々、挙げ始めるとキリが無いのですが、とにかく自分は
「妄想すること」
「考えること」
に夢中になっていることが分かりました。
特に僕がワクワクするのが、「閃き」を得たときです。
物語やキャラクターのアイデアを閃いたときの、脳に電流が走るような感覚。
水平思考ゲームや脱出ゲームで、いろんな解法を思い付いたときの感覚。
この「閃き」をもっと感じたい。
もっとワクワクするようなアイデアを考えたい、そして共有したい。
正解・不正解や、ウケる・ウケない、なんてどうでもよかったんです。
「考えて、閃く」その瞬間に、僕は満たされた感覚がありました。
③安心感とワクワク感を感じながら生きる
①のお話の続きになりますが、栄養科の専門学校を卒業した僕は、いくつかの保育園を経営する会社に入社しました。
(ここから先、かなり自己否定・ネガティブになるので、本当にご注意ください)
そして、保育園の厨房に栄養士と調理を兼ねて働くことになりました。
当時は、「提供している献立が非常に個性的で、面白そうだなぁ」なんて暢気に考えて入社したのですが……この判断によって、僕は絶望を味わうことになりました。
まず、今になって考えると、僕はあんまり料理に興味が無い💦
そして、環境です。
厨房は、それほど広くない空間に閉じこもり、複数人で連携して働く場です。
つまり、①に書いたような「ひとりでいられる時間」は、ほぼ皆無なのです。
常に、誰かの愚痴や会話が聞こえてくる。
常に、誰かの視線にさらされる。
こういった環境は、僕にとって苦痛で仕方ありませんでした。
さらに辛かったのが、自分の才能が完全に短所として発揮されてしまったことです。
・自然とひとりでいられる→「もっと交流の場に参加しろ」「もっと場を盛り上げろ」と言われる
・長く深く考える→「もっと気を使え」「もっと早く相談しろ」と言われる
・新しいアイデアを発想する→実際は献立の型が決まっており、ほとんど工夫の余地がない。先輩たちがアイデアを考えるのを「面倒くさい」と思っている
しまいには
「もっと自分を変えなきゃダメだよ」
「そんなんだから、仕事ができないんだよ」
「やる気ないなら、やらなくていいよ」
と言われる始末。
当時は言い返す勇気もなく、「はい……はい……」とただ従い、自分の自己肯定感が音を立てて崩れていくのを感じました。
就職して2年ほどが過ぎ、ある日、ベッドから起き上がれなくなりました。
泣きながら園長に連絡し、2週間ほど休みました。
一旦は復職し、同じ会社が経営する別の2つの保育園を転々としましたが、環境はほとんど変わらず、同じようなことを言われました。
最初に働いていた厨房の先輩から
「お前が休んだせいで、こっちは大変だったんだぞ!」
「こっちの仕事も手伝え!」
「何か謝ることあるだろ!」
そんな風に電話がかかってきて、慌ててその厨房に戻り、先輩に囲まれながら謝り倒したこともあります。
そんな日々を過ごした僕は、自分のことを「ダメ人間だ」と思うようになりました。
「自分は、本当はいらない人間なのに」
「自分は、他人に感謝されちゃいけない人間だ」
「何もできない人間だ」「ここにいてはいけない人間だ」
「本当は生きてちゃいけない人間だ」
そんな風に感じるようになりました。
このとき、僕は誰かに助けを求めたいと思いました。
しかし、それまで誰かにまともに相談したこともなく、友人もゼロだった僕は、誰にどうやって相談したらいいのか分からず……ただ抱え込むことしかできませんでした。
「どうして、こんなに相談するのが下手クソなんだ」
「どうして、こんなに友達を作るのが下手なんだ」
そんな思いが、余計に自分を追い詰めていきました。
そして、就職してから、2年半が経ったとき。
僕はようやく「辞めたいと思います」と声を震わせながら、言うことができました。
気付けば、そんな言葉が口から勝手にこぼれていました。
その後は、うつ状態で、しばらくは働くことができませんでした。
精神科に行くことも考えましたが、そもそも行く気力が湧かず、行ったところで意味が無い、と勝手に思い込んでいたため、行くことはありませんでした。
とはいえ、「僕は辛い思いをしたんだ! 被害者なんだ!」みたいなことを主張したいわけではありません。
この経験から、僕は「ひとりでいることが好きな内向型」が、絶対に安心感とワクワク感を感じながら生きてほしいと願っている、ということです。
「ひとりでいることが好きな内向型」が、絶対にこんな間違いを犯してはならない。
「自分は生きてちゃいけない」なんて考えを、抱かせてはならない。
こんな経験を、僕と同じ内向型の人が二度と感じてはいけない。
というか、誰にも感じさせてはならない。
内向型の人が「ひとり好き」という価値観を尊重し合い、お互いの思考・妄想でワクワクできるような……そんな世界が良い。
今では、そんな風に感じています。
改めて「本当にやりたいこと」は?
改めて、僕の本当にやりたいことは、
「①ひとりでいることが好きな内向型の人が、
②創作のアイデアを通して、
③安心感とワクワク感を感じながら生きられるようにすること」
です。
そして、この「本当にやりたいこと」には、以下のような思いを込めています。
・内向型が、お互いの「ひとりでいるのが好き」という価値観を尊重し合えること
・内向型の人が苦しい思いをしているときに、安心感を持って助けを求められる環境があること
・内向型の人が、お互いの妄想や思考、アイデアをさらけ出して、共有して、閃きでワクワクするような瞬間を過ごせること
これを考えたときに、自分の中で
「ひとりでいるのが好き」と「他人と共有する、助け合う」って、矛盾してないか?
という意地悪な声が聞こえました。
そんなの都合が良すぎる、とも。
もしかすると、「ひとりの時間」だけで突き抜けられる強い人もいるのかもしれません。
でも、僕はそうではありませんでした。
基本的には「ひとりの時間」が好きだけれど、本当に苦しいときは「助けて!」と声を上げたくなります。
「ひとりの時間」と「他人との共有」。
この両方があるからこそ、安心できるんですよね。
これは僕の使命です。
「ひとり好き」として、ものすごく辛い思いをしたからこそ、同じように苦しい思いをしている人に、手を伸ばすことができる。
そう考えています。
おわりに
以上、長い長い自分語りを読んでいただき、本当にありがとうございました。
まだまだ道半ばですが、自己実現に向けて進んでいきたいと思います。
それでは、皆さんが素敵な「ひとり時間」を過ごせますように。
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