見えないのに見える
「全肓でも絵画を鑑賞できるんじゃないか」
そう思って自分も含めた視覚障害者で美術館に絵を見に行く白鳥さんという方がいます。
ワークショップを開催されているのですが、触っていい立体の彫刻ではありません。
油絵などの触れてはいけない生の絵なのです。
いったい目が見えないのにどうやって絵を見るのでしょう。
それは目が見える人達とグループで一緒に見るのだそうです。
まず、みんなで絵の前に行きます。
そして見える人達が自分なりの解釈を「あーだ、こーだ」と言うのです。
目の見えない人は、その「あーだ、こーだ」で鑑賞するのです。
もちろん、それぞれの勝手な解釈なので「野原」を「湖」と間違ったり、1人が「花嫁」の絵と言ったものを別の人が「男」の絵だと言って意見がぶつかることもよくあります。
しかしそれがいいのです。
はっきりとした解説ならば、見えないのだから家で本の解説を聞くことと変わりません。
なんなら印刷された写真もいらない。
あくまで本物の絵がある美術館に行くのは、実際に光が当たった絵を感じるためです。
ところが自分には見て感じることができないので、絵を見た人が感じることを言葉を通してそのまま感じたいのです。
野原を湖と間違うような微妙な感じや、花嫁なのか男なのか迷うような感覚を味わいたいのです。
欲しいのは解説ではなく「心の動き」なのですね。
それは絵を見ている人の心に憑依すると言えます。
やはり大事なのは心ですね。
心が動くから人生は楽しい。
それでは、