天才か努力か
よく「才能か努力か」という話があります。
才能なんてない、人の能力は皆同じだと言う人がいますが、生まれつきの才能というのは確かにあります。
それは幼稚園の先生でしたら、毎日感じていることですし、多数の科学的実験によって実証されているので疑いようがありません。
特に自分が子供に勉強を教えている場合、その子が周りの友達より成績が悪い時は、才能の差だと確信するでしょう。
しかし能力は努力です。
いや、親の育て方を含めた周りの環境と言った方がいいかもしれません。
知っている方も多いと思いますが、脳は筋肉と同じで、鍛えた部分が大きくなります。
例えばロンドンタクシーのベテラン運転手の脳を調べた実験がありました。
すると「海馬」という、地理を覚えるための部分が肥大化していたのです。
また、今も保存されているアインシュタインの脳を見ると、左手をつかさどる部分が肥大化しています。
これはアインシュタインが気分転換にいつもバイオリンを引いており、左手指をよく使っていたからです。
いくら生まれつきの才能があったとしても、使わなければ肥大化することはありません。
努力から得られる能力が、生まれつきの才能をはるかに超えてしまうのです。
鍛えなければ脳は肥大化しません。
だから能力は努力なのです。
しかし、努力量が同じであれば、才能がある子の方が成績はいいのだから、やはり大事なのは才能だと思うかもしれません。
それも一理あります。
確かに、才能がある子の方が競争で勝てるので、楽しくて自然に努力するようになる、とも言えるでしょう。
しかし、ここで「親の育て方を含めた周りの環境」の影響を考えて欲しいのです。
子供の考え方というのは親や周りの人からの影響で作られます。
もし親が「大事なのは才能だ」と思っていれば子供も「大事なのは才能だ」と思います。
その考えのまま、小さい頃から成績が悪ければ「才能がないから仕方がない」とあきらめ、大きな努力をしません。
また、才能があるから自然に努力をして成績が良かった子供も、より才能のある子や努力をしてきた子に負け続けると、努力をできなくなります。
競争に負け続けるのは自分が無能だという証明になるため、無能を証明するための努力は苦しみに変わり、逃げてしまうのです。
ところが、もし親が
「脳は負荷を与えれば与えるほど肥大化し、能力は無限に成長する」
ということを腹の底から信じていればどうなるでしょう。
子供も同じ考えになりますよね。
そうなると今の成績が悪くても、成長していくことがわかるので「脳に負荷を与えること自体」が楽しくなります。
そのうち
「この脳の疲労が、寝ている間に私の脳を成長させてくれるんだ!」
「もっと脳を疲れさせたーい!」
と子供が思うようになれば、もう鬼に金棒です。
ただし、強制的に子供の考え方を変えることはできません。
強制は反発を生むだけです。
大切なのは、親自身が腹の底からこの考え方になっていることです。
親が実際に、同じ思いを何度も感じていることです。
一点の曇りもなく。
するとその考えは、自然に孑供に伝わります。
親も子供も
「この脳の疲労が、寝ている間に脳を成長させてくれる!」
と思えるようになれば、親子そろって学ぶことが喜びになり、努力は楽しみになるでしょう。
でも落とし穴には気を付けて下さい。
くれぐれもテストの成績にフォーカスしてはいけません。
テストというものは、あくまで学ぶべき点を見つけるための「道しるべ」であり、決して自分に点数をつけるためのものではありません。
成績にフォーカスすることは自分の評価にフォーカスすることになり、
自分の価値つまり「才能」に意識を向けることになってしまうのです。
そうなると努力は苦しみに変わります。
もしも周りが成績や点数、
「あなたは~点」
という評価であふれているなら、
「脳は負荷を与えれば与えるほど肥大化する」
という科学的事実に目を向けて下さい。
そして思い出して下さい。
毎日バイオリンを弾けば、脳が発達し上手くなることを。
こうして見ていくと、
初め能力は努力だと言ってましたが、それよりも「考え方」のほうが大切ですね。
全ては突きつめていくと、結局「心」になります。