最近みた映画
ドライブ・マイ・カーという映画。
村上春樹の短編"女のいない男たち"という作品が原作。
濱口竜介監督、主役は西島秀俊さん。
原作も読み返さないままに観に行きました。
一言。好きです。
喪失感から沸き起こる修復と、人との絆を深める表現や、セリフが複雑ではなく、景色の余白を含めた世界観。
そのあたりが村上春樹さんの世界感を醸し出してるようでした。
自分の金星乙女座と海王星いて座のセンサーがかなり反応しました。
日常の欠かさないルーティンの中に自分を注ぎ込む主人公と、主人公の亡き妻のインスピレーションをこの世に落とす感受点もどちらも共感できました。
主人公の感受点は自分の金星乙女座に近く、妻のインスピレーションの落とし方は海王星いて座や月魚座、アセンダントさそり座の感受点とリンクしまた。
セックスシーンは、インスピレーションの受肉と表現できるためシーンの表現は欲を引き立てるのではなく、女性的な美しさ、神秘さ、一瞬の儚さを表現していました。
ただそれ以上にドライバーのワタリさんが寡黙でありながらも、だれもが出会う喪失感と罪の意識を一身に引き受けているその生き様がとても強く美しかった。そして、共感もあった。
劇中の「ワーニャ伯父さん」のセリフが一つ一つ直感で素直に受け取れるもので、今映画を振り返りながら「ワーニャ伯父さん」を読んでいる。
話はそれるけれど、ドストエフスキーやトルストイとロシアの小説は面白い。
先日読んだトルストイの「イワン・イリッチの死」も好みだ。
なぜ好きか、ごく簡単に言うと
皮肉ってるのに真正直に生きようとする感じがする。
葛藤とか、失うことへの恐怖。
狂しいまでの情熱から生きることへの執着とそこからたどり着くであろう絶望的な未来を見据えていながらもギリギリまで踏みとどまれないドラマ感があるなぁなんて思う。
そのギリギリの境地には新世界の扉があったりするもんで、その扉が今回の映画にも見て取れたのが嬉しかった。
ロシア文学、村上春樹、車(人はいつも何かの乗り物に委ねている…)とドライバー…人生の操縦者はいつも喪失を得てひとつのルートをたどる。
ルートというか、自分の原点にたどりつくルーツを探ぐる。
それ自体が人生な気がする。
それと、主人公の奥さんは一見不倫しているようですが、それは作品の味付けではなくて、
一人の人を深く知るために、愛するために、
また別の人物を愛し愛され、
また一人のひとを深く想うことの関係性に深く想うところがあります。
その世界にいきる人間を表現してるのも好きです。
友情でもなく、異性の恋愛でもなく、純粋な存在どうしの認めあいに近いような気もするから。
肉体の性別は二元的ですが、魂はそうでもないです。きっと。
僕なんかもそうですけど。
そのへんははっきりわかりませんし、難しいですがこれからの世の中そのような在り方が表に出てくるように思います。はっきり分けられるようなモノはあまりないんじゃないかとも思えます。
だから喜怒哀楽の
哀のあとには理解を超えて真実の"楽"がまっているのかもしれません。
人間の繋がりはもっと複雑で色彩豊かなはずですから。