0と1 第十二話 天秤のある空間
佐々木は足早に店内から0のいるテーブルへもどってきた。
「お母様に連絡いたしまして、今夜7時に食事でも、と申しておりました。0さん、お時間は大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
「その際に、0さんとお母様のお二人きりになりますが、それも問題はないでしょうか?」
「はい。」
「そうですか。では、その旨、私からまたお母様に連絡しておきます。時間は19時、こちらの場所で待つそうです。」
メモを0に渡す。
「他なにか、ご質問などございますか?後からでも、なにかございましたら、名刺の事務所までご連絡ください。」
「はい。特に聞きたいことはないです。」
「そうですか・・・では、私はこれで。今日は事務所へ戻りますが、何かあればいつでも、ご連絡くださいね。会計は済んでますので、0さんはゆっくりされてからお店を出るでもいいですし。」
「お気遣いありがとうございます。すみません。もう少し休んでから。」
0は席を立ち上がり、佐々木に深々とゆっくりとしたお辞儀をした。
佐々木もお辞儀を返し、席を離れた。
コツコツとヒールの音が遠ざかる。
席につき直して、カップに手が伸びるが、動きを途中でやめた。
予言めいた言葉たちを脳内で反芻した。
耐えること。受け入れること。
直感ではあるが、父の最期の言葉。
私は母を、父を許せるだろうか。
けれど、選択肢は他にないように思うのだった。
これまでも苦しかったが、解放されたい思いのほうが強かったからだ。しかし、これまでの自分が抱え込んできた、過去の苦しみ、復習したいという想い、それらを抱えた心のうちにいる私を、私はどうしたらいいのだ?
無視も置き去りにもできない。
もし、母に会った時、突然その私が暴走してしまったら・・・。
憎しみが、救われたい気持ちより勝ってしまったら。
でも、いつか向き合わねばならない、その予感はどんな時もあった。今がその時であり、運命の時なのだ。
おかしなもので、日頃生まれ変わりだとか、運命だとか毛嫌いしていたのに。
心に浮かぶ両極の間に立たされた時には、モンスターのような私も、それと向きあう私も、そのどちらにも、自然とそう語りかけるのだから。
それは無いだろうという定義が反転され、あるとしたなら・・・と望みをこめて考えなおすのだ。
それでも、正直心細いものだな。
せめて、親の顔くらい思い出せる思い出が欲しかったな。
コーヒーは冷めきって居た。苦味は深く沈み。香りはひどくか細い直線になっていた。
もしも・・・世界が、何もかもそのままでないなら、流れてゆく世界なら、きっと私も自身を許せるかもしれないし、その心で母を、父を受け入れられたら。
期待はいつも、私を傷つける。
だから、希望を求めて思考やある定義を反転させる。
そして、深い悲しみの中でこう思う。
誰かを傷つけるくらいなら自分が傷ついていた方がマシなんだ。
たとえ、私が誰かの幸せを犠牲にしていて、気づかぬうちに、やっぱり誰かを苦しませていたとしても。
そういう想いは持ち続けたい。
傷つかない人はいないし、傷をつけない人もいない。
「0僕らは対等なんだよ、そういう見方をしたなら。僕はそう思う。」
「1。わたしも、そう思う。」
0の心に、ふと1の声が聞こえた。いつか交わした会話だ。
その時、わたしはその意味を理解していなくて、頷くしかできなかった。けど、今あなたの言葉の意味がよく分かる。痛いほどに。
追体験しているようだ。
辛い時いつも1の存在と思い出があった。
1の存在に気づいてから。いつも目の前にはいないけど。
確かに声は聞こえた。
頬を涙がつたう。
暖かくゆるやかに。
「おかあさん・・・おとうさん・・・」