0と1 第五話 盲目と毒
私の思いは、いいえ。夢は自分の存在ごと消え去ること。
別れた恋人の家にわざと自分の持ち物を置いていく女もこの世界にはいる。
わたしは相手に残った、私の記憶ごと消し去りたい。
心を深く通わせた人ほどそうだ。
私という者の痕跡が一切残らないように消え去りたい。
自殺願望じゃない。
一切を、この世界のすべてと私を切り離しておきたい。
境界線をきちんと自覚する為。
それが私が幼少の頃から生き抜いてきた術だ。一人で生き抜いてやるという強さの根源だ。
ありとあらゆる場面にもあらわれる境界線。
他人との境界線。それは自分の輪郭だ。
私は強く在る為に勝ちには拘らない、ただ「負けないように在る」だけ。
自分を掲げて、泣くこともなく誇らしげに、誰よりも自由になるために生きてきた。
誰かの為に生きるなんてない。
時にしたたかに。
時に残酷に。
私で在る為の葛藤、自身との戦いはあった。
それが他人からは「自由に生きている人」って人間像を与えられた。
もちろん、それなりに自分が自分であるために、必要な自由の為に払った代償もある。そんなのは身に受けてきた痛みよりずっとましだった。
自分の自由を求めることに、覚悟をもって生きて来た。腹を括っていた。
やったことに対して、起きることは受け止める。それだけだ。
自分の為に。自分を守る為に。進み続けるしかない。力尽きたらそれまで。それも、受け入れる覚悟もある。何時かそうなる、避けられない。
それは一つの毒にもみえる。けど、無いと自分を守れない。
なのに、なぜ。
1と出会って境界線は薄くなっていった。世界なんてどうでもいいと。
投げやりではなくて心地よさに麻痺されていくように。
1の優しさは世間一般の優しさとは違う。わたしにはわかる。
境界線だ。彼は誰よりも境界線を強く描いている。
「ここから先は絶対に入らないよ」
と親切に分かりやすい安全の距離感を提示している優しさ。
境界線の濃い者は、誰よりも孤独を知っている。そこに身を置いているのだ。
それも一つの毒だ。
しかし、それを超える、境界線と境界線と自在に超える者もいる。もし1がそちらだったとしたら・・・また話は少し変わる。
けれど、私のような心の浮浪者にはそう言う存在は安心するのだ。
境界線を超えないを前提にいている、もしくは全て超える力を持っているなら、線は超えるがこちらの領土には足をつけずにふわふわと幽霊みたいにただよっているのだ。悪さはしない。しようものならきっと幽霊の資格を剥奪されるのだろう。
どちらも
決して臆病者の境界線を超えてこちらにこないはずだから。幽霊ならふれることもなにもしないだろうし。
私から招かない限り永遠にやってこない。
にこにこと遠くを見やりながら、そこにいるか、元来た道をしずかに引き返せるのだ。
そういう人間は相当強い。
私はそんな存在に人間にはなりえない。
考えただけで散り散りに心身が砕け散るだろう。
だから、君がニコニコとしずかに笑うのは、正直苦しいと感じることもある。
1はスカーレットレッドのミトン手袋を差し出し
「0に似合う色だとおもったから」
と言ったのは、
普段から何かを選択する時、物を選ぶ時、なにかしら、ある人物になりきって、いいや、その人物の本質的なものを自分に呼び起こして選ぶのだ。
あの人はこれを選ぶとか、これが好きだから。ではないのだ。
直感的に、「これだ。」と、あの人の必要なもの、欲しているもの、それに近いものを選んでいるのだ。
1自身はあまりそのことに自覚はないだろうが、私が考察するにそういう人物だ。
自身へのこだわりはない、そう見える。表面的には。ただ一つ思い当たるのは、同時に誰よりも他人に執着しているのだ。範囲が広すぎるのだ。
そこが1の葛藤の一つだろう。
大層な悩みだが、本人は至って無頓着に扱っているようにも観れる。
「どちらでもいい」
はその表れだ。
世間には「どちらでもいい」がありふれているけど、1のはまた違う物を抱えている。
そんな人間が、あまりにも1にくらべたら平凡すぎる、俗世間的な女性と3年近く付き合っているというのだから、人間の腹の中とは本人の意思とは裏腹にかなりガサツなずた袋なのか?
わからん。
結婚するとか相手は浮足だっている、という話も聞く。
さっぱりわからん。
私も中々の盲目だが。世の中観る能力が退化した集団ばかりだ。
その世界がいつも君を苦しめる。