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【なんだかセンチメンタルな時の歌】【最KIYOU】に感じる無知と無垢

 新曲リリースおめでとうございます〜!!
 やったー!めでたい!

 歴代でもなかなかに怪作と名高い『なんだかセンチメンタルな時の歌』。
 最強になりたい時に!なんて単純明快みたいに語られる勢いのある曲『最KIYOU』。

 日ごろ私はモーニング娘。さんの歌詞考察みたいなことをTwitterでやっていて多分50曲以上は見てきたと思いますが、今回の74枚目のシングルはどちらも歌詞が難解でした。音楽的なことはわからないのでいつも言葉を見るんですけれども、まあー理解ができなかったんです。

 新曲が発売されたとなればこれから聴く機会も増えますし、小田さんのパフォーマンスもたくさん見られるはず。なので今の時点でどこがどう難しく、どんな感情になっているのか整理しておきたいなと思います

 いつか詳細に小田さんの解釈が知られるチャンスがありますように!


 

最KIYOU


 

 野中さんは幕の内弁当なんて称しましたけれども、まさにフェイク、ソロパートの多さ、ハモ、ラップなどなど。美味しい見せ場がぎゅっと詰まって目が離せませんね。
 
 小田さんもほんっとうに最KIYOUで、強い。
 

 
 最KIYOUで一番の疑問は『最KIYOU なSoul』って?というやつです。

 その前にまず「最強」の言葉について確認しておきますか。

 もっとも強いこと。もっとも強いもの。

 なるほど、読んで字の如くでしたね。

 じゃあ書き手の私が「最強」をどう考えているかというと、一番であること。また一番だと思い込む心。になります。

 世界最強、人類最強、霊長類最強。
 一位通過、成績トップ、主席合格。

 現実問題、真に一番を手にするというのは本当に難しいことです。何かの枠に当てはめたときに一番になれる人は一握りですし、もしその枠で最強になっても、もっと大きなところに挑めば一番じゃなくなるかもしれない。上には上がいますし、例え頂点に立ったとしてもそこに居続けることはさらに困難。最強という称号は揺らぎやすいものです。

 これを理解することがいわゆる無知の知ってやつですね。

 逆転の発想をします。
 幼いころって「ぼく、わたしのかんがえた最強の〇〇」が頭の中にあったりしませんでしたか?(自分が厨二病を拗らせていただけかもしれない)
 最強にかっこいいでも、かわいいでも、おもしろいでも何でもいいです。ニチアサみたいな世界観に憧れてなりたいと自己を投影したり、自分の理想を疑いなく望めるのは、現実や具体をまだ知らないからだと思います。
 これが後者で語った、無知であるが故に最強でいられるです。
 これはこれで強さがあると思います。

 つまり、自分が最強って思っちゃえば最強だよね。というマインドを最KIYOUでは後押ししてくれる。そんな曲なのかなと考えることにしました。
 自分の人生において自分を1番とすることは、気持ち次第で誰にもできる。そんな強さを讃えてくれそうです。

 それが最強のSoulなのでしょうか。
 精神的に強くある、最強だというのは共感できますが、器用な精神ってなんなんだろうな、と考えてしまいます。おそらくこういう瑣末な疑問に頭を悩ませすぎずに人生を謳歌できる精神、なんでしょうかね。
 

なんだかセンチメンタルな時の歌


 透明感で世界と儚く同化してしまいそう。
 推しの切なさ胸がどうかしてしまいそう。

 韻を踏んでる場合じゃないや。
 これ歌うんですか……?ほんとに?みたいな曲です。
 歌詞で見ると何がしたいのかよくわからない人でした。


 人物像がなかなか見えてきません。

 純粋であることを「私」は良しとしているのかすら判別できない。

 ここではぼかしてますが直訳すると「推し、これに共感するな〜〜〜〜!!!!」が本音でした。
 
 ほんっと最悪なオタクが出てきてしまって良くない。
 だけどこれを“わかってしまう”のは辛いじゃないですか……。
 私は小田さんの笑顔は今も昔も素敵だと信じているので。今だって毎日に夢や憧れを見て、された努力が報われる世界であればいいなと願っているので。

 ですが後につんくさんのライナーノーツでこう語られ、私は猛省します。

 さて、この曲に関して、メロディーの解釈というか、曲の解説みたいなことをテキストで行うのはまあまあ野暮だなって思うので、控えますが、サビまでは6連符が続きます。
 
 で、サビでその6連符縛りから解放されます。
それによって一気に安心感(精神的な安定感)が生まれます。
(歌詞としてもサビで「私は変わってないよ」と、まだまだ頑張れる自分を応援しています。)
まあ、これも主観によるわけですが、そんな気持ちで書きました。
歌詞と付随して考えると、主人公は戦っています。
友達や異性との距離感や、自分のへなちょこさと戦っているわけです。

モーニング娘。’24 8/14 Sg
「なんだかセンチメンタルな時の歌」 ライナーノーツ


 本当に私の純粋さが足りなかった……。

 戦っているんですね。
 惰性と過去の憧憬に時間を溶かしている訳ではなかったんですね。
 「私」こそ昔話やめて 壁か何かにでも話しててよ案件じゃなかったんですね。
 

 ぐるぐる考えすぎておかしな方向に突っ走ってしまいそうにもなりました。

 ですが迷える私を救うように、こちらで小田さんはなんだかセンチメンタルな時の歌をこのようにご紹介されています。

思ってた大人と違うなとか
大人になっちゃったな
やるせない気持ちがあるなって人にはぜひ

 ラジオでも“大人になってしまった人の歌“と話していました。

 これはなろうという意志があった訳ではなく、なりたくてなったわけじゃないのようなニュアンスが入る気がします。

 自分の思うように人生を進められたらそれはとても幸せなことで、うまくいかないことだってたくさんありますよね。

 幼い頃から成長する過程でやるべきことを修め、ままならないことや人ひとりの力では太刀打ちできないようなこともあると気づく。
 生きていく上で世界や社会、自分のできる限りに無知であり続けることは難しい。
 ですがそんな問題に直面したときに、夢を目指のを辞めないこと、諦めないこと、期待すること、信じるのはどこか無垢でなければできないように思います。

 知ってなおも望めるのは、失敗や否定に感情が濁らない、純粋な者の力です。紛れもない強さです。
 「私」はまだ自分のことを純粋だと言っています。それは得難いものだな、と考えを改めました。

 知ったように悟ってばかりいないで、無知で無垢な心のまま何かを望み何かと戦う心。

 くぅ〜〜!!こう言われると胸に刺さる。
 私自身も、まだ自分のことを純粋だと思っています。だけど争いは嫌いなので、自分のために何かと戦うことはもうしばらくしてないような。

 モーニング娘。さんのように信念を貫けるかっこいい大人になりたいものです。

 そんな力をいただくために
「なんだかセンチメンタルな時の歌」
「最KIYOU」
 たくさん聞かせていただきたいと思います。

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