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アクションゲームをクリアできなかった人間がBloodborneに挑んだ話。

私は子供の頃からゲームが好きではあったがアクションゲームを最後までクリアできたことのない人間でもあった。

同じ面を何度も繰り返し飽きもせずにやっていても楽しかったし、子供特有の「独自ルール」を作ってその中で遊んでいた。もはやクリアなどは二の次だ。

しかし楽しくはあれども少しずつ大きくなれば「自分にはアクションゲームは向いていない」と気が付く日が来る。
いつの間にかアクションや格闘ゲームは避け、テキスト、アドベンチャー系ゲームばかりするようになっていた。

実際高校生になっても、ドンキーコングはクリアできなかったし、スマブラの隠しキャラも出せない体たらくっぷりだった。


とはいえゲームが嫌いな訳ではないので、これ面白いよと教えてもらったゲームがアクションであれば、うんうんと頭を悩まし結局諦める…というループをし続け大人になった頃、出会ってしまったのがBloodborneだ。

私の好みをよく知る友人からきっと好きだと言われたその作品は、PVを見る限り好みのど真ん中を貫いていた。

しかしフロムソフトウェアが生み出した所謂死にゲーと言われるそのゲームはどう見ても難易度が高かった。
まさしくオプションに難易度設定がないタイプのゲームだった。

またうんうんと頭を悩まし、ネットでどのくらい難しいのか検索しPVを見ては見惚れため息をついていたが、調べている途中、難しさについての説明を名もなき誰かがこう言っているのを見かけた。
「死にゲーなので覚えゲーです。つまり死ぬことが前提で、何十回でもやり続けられればクリアできる、かも」

随分前のことなので意訳も意訳だが、恐らくはそんな感じの事を言っていた。
そして私はその一言を読んで買うことにしたのだ。要は後押しが欲しかったのだろう。

発売から時間が経っていた為、DLCまで入ったセットをお得なお値段で買った私はどきどきしながらDLし、PS4と向かい合う。

ついに、ヤーナム市民となったのだ。


そこからの画面は想像できると思うが何十回と繰り返される「YOU DIED」の文字。
同じところを何度も通り、どのパターンで敵が動くのかを覚え、それでも倒せないセンスのなさに震えながらも私は楽しくて仕方なかった。
正直なところ、プレイにいっぱいいっぱいで難解なストーリーをその場で噛み砕くことはできなかったし、そもそも余裕がない。

様々な攻略サイトと友人たちからのアドバイスを胸に来る日も来る日も死に続けた。
平均的なプレイ時間は知らないが、ヤーナム市街地だけでも相当な時間がかかった。

死に戻りを繰り返し、それでもどうしようもない所は聖杯ダンジョンを走り経験値を上げ、使っていない経験値を落としたくないと死ぬのをビビりながら死に、泣きながら経験値を取りに戻る。

そんな事を繰り返しながらどうにか亀の歩みで進んだ頃、変化があった。

ほんの少しだけではあるが、死ぬ回数が減ったのである。

慣れであろうが何であろうが、アクションゲームが苦手と思っていた自分には嬉しい変化だった。

相変わらずビビりながら進み、泣きながら戻り、ほおずきさんに正気を吸われ、リアル正気も減っていたのでは?と当時を思い返すと疑わざるを得ないが、それほどにBloodborneという世界が美しく、恐ろしく、大きな満月を見つめるかのごとく魅入られてしまっていたのかもしれない。


最終的には、DLCまで完走することができ、自分史の中で本当に数少ない「クリアまでいったゲーム」とBloodborneはなった。

時として「好き」はあらゆるものを超えていけるのかもしれない。

ちなみに人間とは不思議なもので、Bloodborneをクリアしたあとは自信がついたのか、躓きながらもアクションゲームを最後までクリアできるようになった。

子供の頃、同じステージを何度もプレイして楽しかったように、クリアすることだけが全てではないがやはりクリアできることは嬉しいものだ。

そういった意味でも楽しめる幅を広げてくれたBloodborneには感謝しかなく、いつまで経っても大好きなゲームなのである。

あまりに壮絶な自分との戦いであった為、実は二週目をプレイしていないのだが、またヤーナム市民に戻る日も近いのではないかと考えている。

獣狩りの夜はまだまだ終わらない。


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