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いじめを抑止!Soushiのスイミー理論(我が子がいじめ被害にあって思うこと)
こんにちは、HitoniYoriです。
うちは子どもが二人ともいじめ被害にあって不登校になった経験があります。(下の子はまだ不登校気味ですが、遅刻しながらも学校に行ける日が多くなりました)
いじめは本当に許せないと思っています。うちの子もいじめは許せないと思い、新しい学校でいじめ防止の取り組みをしようと頑張っています。
どんな取り組みをすべきか?
そこで思いついたのがSoushiのスイミー理論です。
タイトルも「いじめを抑止!Soushiのスイミー理論」となっていますが、Soushiと言うのはうちの下の子の仮の愛称です。
(身バレが嫌なので、仮の愛称にしました)
特に下の子のいじめ被害はひどかったです。
有名なボクシングジムに通っている子に学校の休み時間に小学校のグランドで殴る蹴るの暴行を受け、骨を2本も折られる大けがをしました。
周りにはたくさんのお友達がいました。
しかし、殴る蹴るの暴行を見たと証言してくれる子はほとんどいなかったのです……
それどころか、ほとんどの子が胸ぐらを掴んでいるのを見たのに殴る蹴るをするところを見ていないと言うのです。
殴る蹴るの暴行も下の子に大けがを負わせましたが、周りの子の沈黙がさらに下の子を追い詰めました……
殴る蹴るの暴行が行われているのに止めてくれたのは1人だけです。周りには20人以上の児童がいたのにです。
止めたと言っても、加害児童の意識が他に向くような声掛けをしたのみです。しかし相手はボクシングを習っている子です。それだけでもかなり勇気のいる行為だったと思います。
まず、Soushiのスイミー理論の屋台骨となる「いじめ四層構造論」について説明をします。
いじめ四層構造論とは
大阪市立大学の森田洋司教授が1986年に提唱した下記のことです。
「いじめは ≪加害者≫─≪被害者>だけで起こるのではなく、はやし立てたり面白がったりする ≪観衆> と、見て見ぬふりをする ≪傍観者> という四層構造にある」
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出典:http://www.fujimino.ed.jp/education_division/doc/ijimebousi.pdf
いじめ四層構造の要点はいくつかありますが、私が思う最重要部分は下記です。
いじめという環境で重要なのは、<加害者>や<被害者>の在り方ではなく、≪観衆≫と≪傍観者≫の振る舞いであり、≪観衆≫と≪傍観者≫の動き次第でいじめは抑止することが可能。
≪観衆≫と≪傍観者≫がいじめに反対すれば、≪加害者≫が集団から浮いて、いじめはなくなり、逆に、彼らが面白がってはやし立てたり、見て見ぬふりをしたりすると、いじめは助長される。
簡単に言ってしまえば、いじめの最大の原因は「自分の意見を言う勇気を持てない傍観者にもあり」という見方が出来るということです。
(観衆にも問題はあるの思いますが、それはまた違う要素なので、今回は話から省きます、後日noteで書くかもしれません)
しかし、これが簡単ではありません。いじめの現場で自分の意見を言うということはある意味、「自分の人生を賭ける」こと、もっと言ってしまえば「自分の命を賭ける」ことに等しいからです。
我が子は当時小学校4年生です。隣のクラスのボクシングを習っている子に胸ぐらを捕まれ、上半身を固定された状態で殴る蹴るの暴行を受け、骨を2本も折られてます。
そんないじめの現場に出くわして「やめろよ」と言える小学校4年生がいるでしょうか?
そのいじめを止めると、ボクシングを習っている加害児童は自分を標的にするかもしれません。
もう学校には行けなくなってしまうかもしれないのです。
骨を2本も折るなんて、大怪我です。命に関わるかもしれません。
自分の人生(小学校4年生にとって学校に行けなくなると思うことは大変なことです)や命を賭けてまで、悪いことを悪いと言えますか?小学校4年生の子どもが……
そんな状況であるなら<観衆>にならないまでも<傍観者>にならざるを得ないでしょう。
確かにこの時ははやし立てるような観衆はいなかったようです。
しかし我が子にとっては絶望的な気持ちです。
自分は骨を2本折られるような大怪我をしているのに、周りの友達は助けてくれない。
後から聞いても暴力の現場を見ていないと皆んなは言う。周りの友達が見ていないと言うのだから、警察も事実は分からないと言う。
警察が調べても事実が分からないと言うなら、学校は暴力を認識していないと言う。
教育委員会は暴力は無かったと言う。
骨を折られて、その事実は無かったと言われた、うちの子は頭がおかしくなりそうです……
どうすれば、<観衆>や<傍観者>が<仲裁者>になれるのか?
仲裁者と言うのは、いじめをとめる人のことです。
いじめを抑止する為に必要なのは傍観者にならない勇気です。
こう考えてみましょう。
目の前にいじめという舞台があったとします。
あなたは役者です。
そしてそのいじめという舞台にはあなたの人生と場合によっては命がかかっています。
配役は下記の5つだけです。それ以外の配役は用意されていません。
・いじめ被害児童
・いじめ加害児童
・観衆(はやし立てる人)
・傍観者(ただ見てる人)
・仲裁者(いじめを止める人)
いじめ被害児童と加害児童の役はもうやる人が決まっています。
選べるのは「観衆」か「傍観者」か「仲裁者」だけです。
皆んな、本当は「仲裁者」を選びたいはずです。
しかし、残念ながら、「仲裁者」の役の人は、もしかしたら次の配役で「いじめ被害児童」になる可能性が高いです。この舞台にはあなたの人生と命がかかっています。
さらに「仲裁者」は残念ながら、「いじめ加害児童」より弱いという役柄です。
もしかしたら単純な暴力では強いかも知れませんが、「仲裁者」は暴力を禁じられています。
暴力を暴力で返すのは本末転倒です。
残念なことに「仲裁者」つまりいじめを止めることが出来るのはテレビで出てくるようなスーパーヒーローではなく、ただの人なんです。
あなたはどの役を選びますか?
次に「いじめ被害児童」の役が待っているかもしれないのに、自分の人生と命を賭けてまで、「仲裁者」の役を選びますか?
私だったら選びません。(悔しいですが)
我が子のSoushiは「仲裁者」の役を選びました。選んだ結果、次は「いじめ被害児童」の役がまわってきて、骨を2本折られました。
この「いじめ四層構造論」で作る「いじめ」という舞台の何がいけないか?
なぜ、こうまで「仲裁者」という役が現れないか?
分かりますか?
この「いじめ」という最悪の舞台を終わらせる方法があります。「仲裁者」という役をこの舞台に投入する方法があるのです。
最悪な「いじめ」という舞台を終わらせる方法!Soushiのスイミー理論
大事なのはスイミーですよね。
覚えてますか?というか知ってますか?スイミー。レオ・レオニのお話です。
あの小さな賢い魚の話です。一匹だけ身体の黒い魚がいて、その魚が目の役割をして、ほかの赤い魚が大きな魚の身体の役をします。
そして大きな一匹の魚に見せかけて、本当の大きな魚を追っ払うお話です。
みんなで力を合わせれば良いんです。
1人でいじめと戦おうとするから怖いんです。
みんなで悪いことは悪いと言おうじゃありませんか?
皆んなが「仲裁者」になれば良いんです。
常日頃から大きな一匹の魚となり、大きな敵(いじめ)に備えていれば良いではないですか?
そんなことは出来ないとお思いですか?
出来る方法はあります。
大事なのはここです。
その舞台に「いじめ被害児童」役と「いじめ加害児童」役が飛び込んでくる前に、みんなで「仲裁者」の役をやればいいんです。
このスイミー理論のシステムの考え方はまた他のnoteで書くつもりです。
我が子のいじめの原因はいじめられている子を助けたのが元々の原因でした。
Soushiは観衆や傍観者にはならずに仲裁者になることを選びました。
それが小学校2年生の時です。
延々と嫌がらせを受け、小学校4年生の時に骨を2本折られたのです。
Soushiは仲裁者になることを選びましたが、自分が暴力を受けている時は仲裁者は現れませんでした。
しかし、Soushiは負けず、新しい学校でいじめ防止の取り組みをしたいと言っています。
親として全力で応援するつもりです。
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