記事一覧
「他人」を活用してみる
小児科の待合室。
2月の小児科はかなり混んでいる。
前日に時間帯予約をしたが、予約があっても30分程度待つ可能性を受付で知らされた。
診察室から嫌がって泣いている子の声と宥めて励ます大人の声が聞こえる。
体調不良な子どもたちがスムーズに診察させてくれないのはわかる。
待合室は広く、それぞれの親子が少しづつ離れながら座っている。
親に抱っこされたまま眠っている子や、つらさからぐずっている子、マ
通りすがる、通り過ぎる、点を結ぶ。
ひとりごと、ひとりごと。
ぽつぽつ、ひとりごと。
子どもの側に、本気でで向き合ってくれる人がひとりも居ないなら、人数がどんなに居ようと、たぶんそれは「不在」だ。
おおげさでなく「命」の危機だと思う。
まっすぐに舗装された道の先に数人の人と子どもの姿がぼんやり視界にある。家族かな?何も気に留めることなく通りすがりの人として私はすれ違う。
近づくにつれて様々な情報が飛び込んでくる。
こういう
「そんなのズルい」と言われた話。
中学生の頃。
どうしても「美術の学校」に行きたかった私。正確には小学1年生からずっとそう思っていた。
中学の3年間の美術の成績がオール5でないと推薦が貰えないと聞き、必死だった。
なぜなら、他の教科がどうにもならない成績の低さだったし、他にも美術が得意な生徒はいた。
そこで、出されてもいない課題を勝手に先生に提出するという秘策をひねり出す。自宅でせっせと作った謎の作品やら、風景画、紙粘土を石膏
ベビーカーの横で泣いていた女性のはなし。
混雑する山手線。
あまり電車を使わないけれど、山手線に乗るとあらゆる思い出と紐付いて、つい回想してしまう。
そうだ。
暑い夏の日だ。
いつかの代々木駅。
熱風を感じながらホームから階段を降りるとき、ちょうど階段の最後の段を降りたばかりと思われるベビーカーが目に入る。
横に立って居る女性と、ベビーカーを挟んで対面して話しかける男性。
海外にルーツがあると見てわかるその男性は、身振り手振りで
必要を満たすのは親じゃなくてもいい。
昭和58年〜59年頃。
たぶん2歳〜3歳弱の頃の私の記憶。(私は記憶力が良い方だけど、母から聞いた話が自分の体験目線で定着している可能性もある)
母は、産まれたばかりの双子の育児(弟と妹)に悪戦苦闘していたようで、我が家から私のぐずる声や母の大声が聞こえると隣に住むしおださん(仮名)は意気揚々とやってきた。
日中、玄関のドアに鍵はかかっておらず、「ほら〜おばちゃんち行くよ〜あそびに行こう〜」
両親が失ったもの、私が得たもの。
※たぶん、あとで後半を書き直すつもり。
子どもの頃の記憶として、宗教による実害は無かったのか?
はて?回想しながら思い起こす。
宗教によって、明らかに両親の仲は悪くなっていた。
おそらく私が4歳頃に入信。
弟と妹は2歳〜3歳の計算になる。
強烈に覚えているのは・・・
畳にしゃがんで父親を見上げている私。
父親は小柄な人だったが、恐ろしく大柄で赤くまだらな皮膚をした男に見えた。まだ、おし
新興宗教の家庭で育った子どもが思うこと。
私が幼児期に大病をして、母はすがるような思いであらゆる宗教の門を叩いて回っていた。あと3日程度で我が子の命があぶないとなれば、自分が親になってみると、そうなる気持ちもわかる気がする。
教会や山の奥の神社・・・あちこち出向いて、結局は1箇所に落ち着いた。私自身は特に何かを強制されたこともなくて、ゆるーく在籍しているだけな感じ。
定期的な集まりに行くとお菓子を貰えるし、いろんな子と遊んで過ごせてい
世界一褒めてくれる人が居なくなった世界で。
さっきまで寝てたけど起きた。
強烈に夢を見すぎる。
夢メモ
気がつくと、死んだお父さんがいつものように手を後ろに組んで満足そうに笑ってた。
「これで合ってるかな?」って聞いたら「大正解!!!ぜんぶ合ってる!!!だいじょうぶ!」「あなたは天才です!」って、大きな拍手をしてくれた。
なんだろうあれは。
羊水?羊水のなかみたいな(記憶ないけど)感覚だった。あれ?お父さんだけど。
ま、いいか。