【チンパンジーとの日々 #1】 アロフ
「気は優しくて力持ち」という言葉がぴったりくる。大きな体格に似合わず怖がりで、緊張すると片手の親指と他の指を使って両乳首を同時に押さえるという奇癖の持ち主でもある。大きな体で落ち着きなく乳首を押さえるしぐさはお世辞にもかっこいいとはいえないが、どことなく憎めない愛嬌を感じさせる。ケンカや争いを好まず、強い威厳を感じさせるタイプではないが、逆にその親しみやすさのために他のチンパンジーから支持されるのかもしれない。
私とアロフとの出会いは、私が初めてマハレに行った2002年のことで、当時20歳で第2位オスだったアロフは、同世代で第3位だったドグラとよくつるんでいた。翌2003年には、当時第1位に君臨していたファナナが突然失踪し、繰り上がるかたちでアロフが第1位になった。ファナナを見慣れていた私は、チンパンジーの第1位といえば、いつも威張り散らして暴力的で政治的な駆け引きにも長けている、というイメージがあったが、アロフは低順位個体が発するパントグラントという挨拶を受けるのも嫌がり(マハレ珍聞第7号参照)、ケンカが起こっても乳首を押さえて悲鳴をあげながら右往左往し、第1位オスの威厳のようなものをあまり感じられなかった。私は主に母子を対象として調査をしていたのだが、ファナナが失踪したあとのアロフの様子やオス同士の関係がどうしても気になって、自分の調査対象個体をほったらかしてしばしばアロフを追跡していたら、いつの間にか気づいたらこれまでもっとも長く観察した個体になっていた。
アロフに教えてもらったことは多い。もともと私はオスにはあまり興味がなかったのだが、ファナナの失踪とアロフの第1位への繰り上がりというタイミングに居合わせたことで、否応なくチンパンジーのオス同士の関係を追いかけることになった。一口に「第1位オス」といってもファナナとアロフではかなり特徴が異なり、個性や他個体との関係性が大きく影響することや、力の誇示や政治的な駆け引きに長けていなくても、怖がりで緊張がわかりやすく行動に出てしまっても、まったく問題なく第1位オスとして周りの個体からは遇されることなど、「チンパンジーの第1位オス」のイメージを大きく変えてくれた。第1位に繰り上がったときには長期政権はとても期待できないと思ったが、ライバルが少なかったとはいえ、2007年にピムと交代するまで約3年半にわたって第1位の座におさまっていたのは立派だった。政権陥落後も他のチンパンジーたちからは一目置かれた存在として、現在でも独特な影響力を保持しているようである。
最近では徐々に老年期にさしかかっており、少し体が小さくなってきたように感じるのが心配ではあるが、歳を重ねるにつれて母親のワクシと一緒に過ごす時間が増えているようで、老境の母と息子が仲良く遊んだり毛づくろいしたりしている姿はなかなか微笑ましい。今後はあまり乳首を押さえなくてもすむように、親孝行(?)しながら悠々自適な日々を送ってほしい。
初出:マハレ珍聞(マハレ野生動物保護協会ニューズレター)、第27号、「マハレのチンプ(ん?)紹介」 第27回、2016年
動物研究者の自伝シリーズ <新・動物記> を編集しています。