許したい。本当は愛したいから。
今日の小石。
許したい。本当は愛したいから。
わたしはここ10年ほど
母のことがずっと許せなかった。
許せない、という状態でいることを
自分に許可した。という方が近い。
反発心のような力もひとつ、
原動力になって
もともとずっとしてみたかった
一人暮らしに、半ば強引に踏み出した。
母との距離感が不健全。ということは
家を出る数年前から感じ始め。
このままでは、もしかしたら
わたしはいつか年老いた母に手を挙げたり
もっととんでもないことになるかも。
と、
逃げるような気持ちで、
不安を抱き締めたまま、家を出た。
あの当時わたしはただ、
母に認められたかった。
そして、強制される訳ではなく
年老いた母の側にいる事を
自分で選べる、ようになりたかった。
そう出来ない、したくないとすら
思ってしまうことが
とても苦しかった。
また後日、母のことは
別の記事として書くかもしれない。
自分が母になり、3年が経とうとしている。
母も体験したであろう色々を経験し
自分が赤ん坊だった時のことを話す
母の表情や声の感じなんかを思い出したりする。
母も必死であったこと。
悩んだり悔やんだり、自分の力のなさに
情けなくなったり、したのだろうかと。
そんな思いを重ねたり、していくうちに
母への頑なな思いが、少しずつ
緩み、解けていく感覚を覚えるようになった。
22時を回る時計を確認しながら、今。
寝かしつけた娘の部屋からそっと抜け出し
洗濯機から出した、洗濯物のシワを
バタバタと伸ばしていた。
換気扇の音を聞きながら。
本当は皆んな、許したい。
だからこそ、一度許さない。ということを
選択してみる。
許したい、本当は愛したいから。
自分から、愛するということを選びたいから。
今日の小石。