混沌は混沌のままでいい〜ネガティブケイパビリティ、最小有効多様性の法則〜 #24
子連れMBA講座を再受講した際のキーワードを再度思い返してみたいと思います。
前回も学んでいたはずなのに忘れていたこのキーワード
「ネガティブケイパビリティ」「最小有効多様性の法則」
いまひとつ理解が低かったのがたまたまぴんとくる話があったのでご紹介。☝️
両者を読み解くキーワードは混沌の神様です。
混沌の神様
澤円さんの奥さんで造形作家の澤奈緒さんがVoicyで教えてくれた混沌の神様のお話をご紹介します。
「混沌=カオス」の語源って『荘子』における中国神話の目、鼻、耳、口のない皇帝の「渾沌」(こんとん)(文献によっては怪物)であったという事はご存知でしたか?
いわゆるのっぺらぼうですね。🫥
このお話の結末としては、もう1人の皇帝が、恩になった見返りに、目、鼻、耳、口の七つ目の穴を開け終わっ途端、渾沌は死んでしまうんです。😢
これが日本語の混沌の語源と なったとのこと。
これは何を意味するかというと、、
のっぺらぼうでいろいろなものが足りていない渾沌を無理に完全なものにしようとすると、そのものは死んでしまうんです。。゚(゚´ω`゚)゚。
つまり、そこにある姿が、ありのままだと言う事。🙆♀️
「ネガティブケイパビリティ」と「最小有効多様性の法則」をまとめて解釈
ネガティブケイパビリティは不完全なものを不完全として受け入れる素養が今の「混沌」とした社会では、より必要になると言うことではないでしょうか。🤔
もちろん自分の中にも不完全があり、
そして、自分の中にも多様性がある。🤫
お互いを宇宙人だと思って、価値観に押し込めることなく、付き合っていくことが
「最小有効多様性の法則」なのかなと勝手に理解しております😅
よかれと思ってすることの罪
よく「よかれと思ってやったこと」が相手に通じなくてかえって人間関係にわだかまりを残してしまうことってあります。
不完全を埋め合わせようとした上での感謝の強要や説教、私は人にされたくないと思いながら、私自身が友人にしてしまい、音信不通となるほどの亀裂が生じてしまったことがありました。
専業主婦の友人が旦那さんへの恨み節ばかりだったので「旦那さんに感謝の気持ちを表してみたら?」と言ったのがきっかけ。
正論をかましてあなたには「感謝が足りない」と埋め合わせようとしたがため、私も彼女も全く望まない結果になってしまったのです。
「よかれと思って」した経験、日経クロスウーマンのVoicyでも同じようなことが語られていました。
「よかれと思って」は自分の価値観を押し付け,、「自分のクローン」にし、相手を「支配」しようとすることの表れ、と解説されています。
過去の自分をまさにその通りと思ってしまいました。。゚(゚´ω`゚)゚。
やはり混沌は混沌のままでいい
ここでも澤奈緒さんの旦那さんの澤円さんのランベルト環の話を思い起こします。
澤円さんのメタ思考を読んだのは澤奈緒さんの混沌の神様の話を聞いたずっと後でしたが、
欠けたところを埋め合わせする「よかれと思って」は大きなお世話どころか人間関係が破綻する引き金にもなりかねないのだと気づきました。
そもそも全方位的に完璧な人間なんて存在しません。混沌は混沌のままで認めるネガティブケイパビリティ。
混沌の世の中でこうあるべきと言う結論を急ぎすぎず、愛する人を傷つけないためにも心に留めておきたいと思いました。
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